心学「親の学問」

 

気がついたら自分は自分自身であった。幼児の時には自分自身を意識しないが、物心ついた時期から、自分自身の存在が観えて来る。その時点で親や身内から「躾」などの教育を受けていたら、人間としての基本が形成される。

 

しかし、幼児の時点で教育や躾が蔑ろにされていれば、幼児のままに成長する。しかし、ある程度の時期になれば、自分が自分自身を教育することができる。これが学問の始まりである。学問とは本来「自分自身の仁徳を高める学び」のことである。

 

でも、この機会に周囲の人間が「学問の必要性」を説かなければならない。家庭の教育は子どもの教育でもあるが、親自身の教育にもなる。

 

親として食育は当然のこと、それ以上に徳育や仁育が必要である。「親は最高の教育者であれ」これが家庭教育の理想である。心の教育は学校ではなく、家庭でするべきであろう。

 

学校は生徒がそれぞれの育った環境もあり、個別には教え切れない。しかし、家庭は親と子どもなので、個人的な対話ができる。親が育てた子どもだから性格や考え方もわかるはず。最も子どもを知る親が教えるのが最適である。教育は「人に求めない」こと。

 

*仁徳学問所 親として人間として仁徳を高める