心学「陥れる」*おとしいれる

 

他人を陥れる為に、その人の過失を探し、その過失を吹聴し、恥をかかせる。このような人間はいつも不徳な心を持ち、他人の目を怖がっている。

 

しかも、自分の過失を吹聴されると興奮し、食って掛かって来る。陥れる為に人の過失を探すことは、自分の不徳を晒すようなもの。

 

確かに自分の不徳を吹聴されたら気分を害する。逆恨みをすれば同じような人格になる。道理の徳を積んだ人間は、逆恨みをすることなく、あえて仁徳修養の場と思うこと。

 

相手は陥れられ気落ちしていると思い、自慢気にいるだろう。ところが、その反対に自分は憐れみと慈しみの心を持ち、自分の仁徳を高めることである。

 

その時、自省の修養を行い、自分が誰かにしてはいないだろうか、気がつかないけど自分にもその心がないか。他人の悪行は自省の好機である。人生には多くの場面があり、それぞれに善悪の心がある。

 

心の成長として善悪全てを心の栄養にする修養に励むこと。

 

人を陥れる人間は自分をも不徳の人間に陥れている。これが一番の損である。