京都のある曼殊院 北側にある墓地です。

 

覚恕(かくじょ、大永元年(1521年)- 天正2年1月3日1574年1月25日))は、

戦国時代天台宗の僧。天台座主。父は後奈良天皇。母は壬生雅久の娘伊予局

 

1525年大永5年)、延暦寺曼殊院門跡において得度し、1527年天文6年)、

曼殊院門跡を相続した。

1557年弘治3年)、准三宮の宣下をうけて金蓮院准后と称し、

1570年元亀元年)、戦国時代の混沌とした中で166世天台座主となった。

 

1571年元亀2年)、織田信長による比叡山焼討ちの際には

比叡山にいなかったために難を逃れたが、比叡山抵抗の責任を追及されたため、

甲斐武田信玄を頼り亡命する。

この後、信玄が権僧正の僧位を得るために尽力している。

その後も京に戻ることはなく、天正2年(1574年)に没した。