鬱将軍様へのお伺いへの返答② | 諸宗 破折

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私鬱将軍が、日蓮正宗の法華講の一信徒としての活動や
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以前にも言いましたね。

総本山の御影堂の正式名称は「本門戒壇本堂」です。

これは十七世日精上人の筆にて御影堂の棟札に本門戒壇本堂とあります。

また四十八世日量上人の大石寺明細誌には

「本堂 間口十四間 奥行十三間 仏壇宮殿中 板本尊 竪三尺六寸 横二尺 日蓮聖人木造 御居長二尺八寸五分 御膝両袖四尺一寸

右再建の大施主 台徳院様御養女 阿州太守至鎮の室御法謚 敬台院殿妙法日詔大姉」(富士宗学要集五巻頁322)


とあります。御影堂が本堂では無いなら この説明は何ですか?という話です。


御影堂と本尊堂という言葉が出てきますが

室町期戦国期の大石寺には御影堂と本尊堂があったと言われていますが

ただそれは日興上人以降に建てたものです。

日興上人が建立したのは大石寺の本堂としての御影堂です。

故に日精上人が御影堂を再建した時には 本尊堂と御影堂を合わせて日興上人の時代に戻したと言われています。

また日時上人の大石記には日興上人の語りとしてこのようにあります。「本門寺の朽木書きとして御堂をば大石に立て申し身延澤にて立て申したり御仏をも入れ申す」(富士宗学要集五巻頁149)とあります。 朽木書きとはお手本ということです。身延澤にて立てた御仏とは即ち本門戒壇之大御本尊のことです。本門寺の朽木書きとはっきり言われているのですから 素直に認め受け入れるべきだと思います。