顕正会とその思想 左京阿闍梨日教と顕正会 | 諸宗 破折

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私鬱将軍が、日蓮正宗の法華講の一信徒としての活動や
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顕正会と左京阿闍梨日教の 
                                          共通用語とその思想
                                                                      鬱将軍  
最近本門戒壇について 国立戒壇院建立を
国立戒壇だという邪説に遭遇した。
本門戒壇の大御本尊在す所それ即ち本門戒壇であるということが顕正会員には分からないようだ。
彼の邪説の源流を考えるにこれは左京阿闍梨日教という要山より着せしものの邪義が富士の清流を濁流とさせている原因であると思い知った。  古来より左京阿闍梨日教は
要山より大石寺へきて総本山第九世日有上人の弟子となったとあるが、彼の遺した
百五十箇条 穆佐抄  五段荒量  六人流儀私記
等を読んでも左京阿闍梨日教は独自の法門を展開しており  とても富士の清流とは思えない、そればかりか単語を単語を見ていくと 
これは顕正会員の語と同じだと思う箇所がものすごく多かった故にそれを少しまとめてみたい。



〖 冨士〗について
顕正会と言えばその正式名称を〖 冨士大石寺顕正会〗という。 
近年冨士は顕正会を指すワードであり
富士は日蓮正宗を指す見たいな分け方をしている。
顕正会の冨士はどこから来たのか
それは左京阿闍梨日教の百五十箇条では無かろうか。 彼の書には随処に冨士山とあり
御妙判の引用は富士であるのに
私記においては冨士を使う。 これひとえに
冨士と書くのが正確だと思い込んでいたのだろう。 顕正会はその左京阿闍梨日教の義盗用したに過ぎない。

 〖 血脈不断の断〗 これも左京阿闍梨日教の邪説を大石寺の血脈相承になぞらえて
顕正会が活用している
用語じたいは左京阿闍梨日教の穆佐抄に出てくる用語である。 顕正会と左京阿闍梨日教はかなり似ている。

〖 位牌〗 
顕正会では、位牌は建てないという。
左京阿闍梨日教も位牌を建てるのは冨士の義ではないと書いている。しかし、
当家引導雑々記や引導秘訣には
「当宗の位牌とは多宝涌出宝塔を、表するなり、題目を書く事は釈迦の知恵を顕すなり、此の位牌の前に孝子等集て回向するは十方分身諸仏集って宝塔を、礼拝し給ふを表するなり」とあります。このように位牌を置かないとする義は大いに間違いであり 
大石寺の義ではなく左京阿闍梨日教を取るあたり顕正会は不勉強である。





〖本門戒壇院建立〗
左京阿闍梨日教と顕正会の論で一番同じことを言ってるの
日蓮大聖人は三箇の勝地は富士山本門寺本堂と言われのに対し左京阿闍梨日教が
冨士山天生原戒壇院建立を言い出し
それを日寛上人が報恩抄文段で使ってしまった。しかしこれは要法寺八代日辰師の御書抄からの引用であるの事は日寛上人も分かっている。しかし後の総本山35世日穏上人や60世日開上人が悉く戒壇堂建立と言われてしまったことは至極残念である。
ひとえに左京阿闍梨日教が富士の清流を濁流とした文証であろう。

以上四つのワードを拾って書いてみたが
資料の少なさに多くを書くことが出来ない。  
しかし少なくとも顕正会が冨士大石寺顕正会と、名乗る事は間違いである事を証明する一翼となれば良いのです。
また、左京阿闍梨日教については宗門でも多くが知られている訳では無い。
しかし顕正会が日蓮大聖人の正義ではなく
左京阿闍梨日教の邪義を取るというなら

左京阿闍梨日教が穆佐へ退出したように
顕正会が講中解散処分となり退出するのも
因縁であろう。