慌ただしく過ぎていく毎日で

4月もはや半ばです真顔


すこし遅めに咲いた桜も、葉桜になりつつある今日この頃


毎日残業して帰って、ご飯食べてお風呂に入って

ついてるテレビは日テレのニュースZERO


この春、キャスターが有働さんから男性アナウンサーに代わりました。

(名前しらない…真顔



で、毎日気になってしまうのが

番組最後の挨拶。


この男性アナウンサー、

必ず最後に


「おやすみになる方は、おやすみなさい」


と挨拶するのです。


これが、気になって仕方ないもやもや



「おやすみになる方は」


という前置き、いるか?ちょっと不満


しかも、心なしか「方は」に強調が入るガーン



言わんとしていることはわからなくは無い。

先日までやってた「不適切にもほどがある」でも

テレビ局でいろんなことに配慮しすぎて

訳わからなくなってる様子がコミカルに描かれていましたが、


「まだ寝ないのにおやすみなさいとは何事か」

とか、

夜勤の人もいるのにそこに配慮せよ

みたいなことなんだろう、ということはすぐに判る。


それを判っても、やはりあの挨拶は変なのです。

真顔


まず第一に、

“おやすみ”という言葉の重複

同じく言葉が続くので耳につく

耳障りが悪いのです。



第二に、

そもそも「おやすみなさい」は、

夜に使う「さようなら」の意味もあり、

寝る前に限って使う言葉では無い。


なので、これから眠らない時にも使う言葉だから、

それに文句がつくのはお門違い



だいたい、夜の「おやすみなさい」が、

まだまだ働く人にふさわしくないと言う理由で

テレビの挨拶で限定した使用をするなら、

「おはよう」はどうなんだ?


「おはよう日本」とか「おはよう〇〇(地域)」とか、「おはよう朝日です」とか

おはようを冠した番組はたくさんあるけど…


夜勤明けの人はこれからお休みになりますよ?

みたいな感じで、番組名としてどうなんだとなる



第三に

「おやすみになる方は」と限定することで

“おやすみにならない方”に対して挨拶をしていないことにもなるタラー



第四に

そんなに、「おやすみなさい」と言う言葉に抵抗を感じるなら

何故普通に「さようなら」を使わないのか?


あえて、「おやすみになる方は」なんて前置きをしてまで

「おやすみなさい」を用いる必要性がわからない?


さらには、「おやすみになる方は」と「方は」を強調しているように聞こえるために

あえておやすみなさいを使うこだわりと相まって


(自分はまだまだ仕事するんですけど皆さんはお休みになるんですよね)


というのを言外に含んだような

嫌味めいた背景がある可能性を

考察せざるを得なくなる。もやもや



と言う具合で、なんだかとっても不快な挨拶だということが気になって仕方ない、

今日この頃なのです…


たぶん、配慮、工夫をしたおつもりなんでしょうが

それがかえって逆効果になっている、と個人的には思うのですよ。



ああ…普通にシンプルに

「おやすみなさい」か「さようなら」にしてほしい…