釜石【鉄と魚とラグビーの都(まち)】を深~く味わう虎の巻 -212ページ目

地獄と天国

4月になりました。
ちょっと暗い記事です。
明るい情報をお待ちの方スルーしちゃって下さいね。


あの忌まわしい震災から3週間がたちました。
皮肉な事に震災以前よりバスの便利が良くなりました。


中村行きのバスに乗り鵜住居へ行ってきました。


大渡は片付いていましたが大町に入ると…

聞いていた以上、想像以上の悲惨な光景。
目を覆いたくなると言ったらいいのでしょうか。
言葉では言い表せません。

釜石名物飲ん兵衛横丁も跡形もありません。

町中はまだ建物の痕跡があります。



鳥谷坂トンネルを抜け水海から新しく出来た道路へと入ります。

ユニオンは撤去作業が終わり跡形もなし。
テレトラックは1階がグチャグチャです。

新道に入り両石


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(この写真は震災の翌日撮影)
自衛隊の捜索は入りましたが瓦礫はそのままです。

恋の峠トンネルを抜けると鵜住居。
薬王堂付近も屋根が疎らで回りは潰れています。

更にトンネルを抜けて片岸。

唖然としました。
片岸の町が、在るべきはずの片岸の町がない。
見渡す限りの瓦礫の平野に雇用促進アパートがぽつんと建っているだけ。
それとゴルフ場のネット…
雇用促進アパートも3階迄ガラスが割れていました。


ファミリーマートがあった場所に立つと新田まで遮るものなく見えます。

そう、鵜住居の町も何もないんです。
きれいさっぱり。
ところ、どころに鉄筋の建物残ってますが何だったのかわからないほどです。


多くの尊い命が奪われた防災センター。
ここだけはわかります。

写真は撮りませんでした。
撮れませんでした。

黙祷をして通りすぎました。


学校が近づいてくると道の脇に泥がつまってます。
その泥はキラキラ光るものが混ざっていて、おそらく根浜の砂でしょう。

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鮭の孵化場です。
泥というか砂まみれ。
流された稚魚が無事に成長して帰ってきてくれると良いですが…

中学校へ着くとそこはまるで稲刈り後水を水を抜いた田んぼのような状態。
校庭も駐車場も道路も数十センチの泥(根浜の砂?)で埋めつくされていました。
自衛隊がブルドーザーで泥の撤去作業中。


校舎はまるで廃墟。

教室の中。


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砂です。

3階の廊下の窓硝子はなくこんなものがぶら下がってました。

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牡蠣の養殖のロープです。


突き当たりの壁もありません。
外を見ると地形が変わっていました。


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川幅が広くなりというか、すぐに海です。
白鳥が羽根を休めた湿地帯のような場所はありません。
白鳥は北へ帰った後でしょうか。
飛べない白鳥は無事でしょうか。
白鳥の姿はありません。

鞄を探しに行ったのですが教室にはなく、がっかりしたところ昇降口の前に広げたシートに各教室から回収した鞄等が置いてありました。
運よく娘の鞄はあったのですが鞄が開けられ中にあった財布はなくなっていました。
筆入れも開けられ中にあった500円玉がなくなっていました。
ほとんどの鞄が開けられていて中身を取られたと思われる財布が落ちていました。


帰りのバスは何故か松原経由。
港町、松原の惨状に愕然としました。

本当に瓦礫の山です。
鵜住居、片岸は家の土台しか残ってませんでしたが松原はそのまま潰れてしまったようにも見えました。

希望の光でしょうか。
松原に新しい電信柱を建てて電気を通す作業が始まっているそうです。


本当に五の橋から西は別世界です。
ガスがないだけで後は普通の生活です。
商店も次々に営業を再開し、スーパーにも通常通り商品が並びはじめました。
銭湯が営業を再開した事でいつでもお風呂も入れるようになりあまり不便さを感じなくなりました。
車がなくてもバスの便利がよくなりました。
ガソリンスタンドも通常営業に戻ったので朝早くから並ぶ事もありません。

五の橋から西はまるで天国のようです。



長くなりました。

行方不明の方々が早くみつかりますように。
身元のわからないご遺体が一日も早くご家族の元に帰られますように。

お薬師山に登ってみました。

ケーブルテレビの愚痴を言ったら、一昨日から地上デジタルだけ映るようになりましたビックリマーク


昨日、母の薬をとりに旧市民病院に行ってきました。
前回より瓦礫は片付けられていて歩道も歩けるようになっていました。
が、大正軒や及新書店やどの店も1階が空洞化になっていました。 ショックあせる

見ない方が良いよ。
と皆に言われたけど釜石全体を見たくて御薬師山に登ってみました。
高校生以来でしょうか。


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梅の花が満開でした。


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まだいたる所に瓦礫が…


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オカムラも瓦礫が…


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松原も…


海は何事もなかったかのように穏やかで、
観音様も海を見つめています。


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帰りに気になっていた大渡の桜を見にいきました。


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つぼみはまだ硬いです。
塩水を浴びても花が咲くでしょうか。
今年はライトアップは難しいでしょうけど、桜が咲いたらブログで報告しますね。


毎晩、少し大きな余震があります。
桜の咲く頃にはおさまって欲しいものです。

女遊部(おなっぺ)の皆さんありがとう!

季節はずれの雪が降った釜石です。

電気が通ってもケーブルテレビの為にテレビの見れない家庭が多いです。
ケーズデンキが営業を始め充電器が手に入ったので携帯でテレビを見ています。

ついつい『金八先生』を見てしまいました。何を隠そう第一回目の卒業生と一緒でございます。(歳がばれる)
合格発表の日の午前中のお別れ会で泣きながら皆で『贈る言葉』を歌ったのでした。
もう全員揃うことはないんですね。



震災から2週間目の25日に読売新聞の岩手版に私の津波の体験が掲載されました。
紙面の関係上仕方がないんでしょうがかなり割愛されました。
どうしても削って欲しくない部分があったんです。
それは…

震災の晩、高台の2件の家で休ませて頂いた私達は、このまま居てもどうにもならないということで怪我人、病人、歩けない老人残し山際をつたい瓦礫の上を通り国道へ出ました。
不思議と国道には瓦礫はありませんでした。
恋の峠から新しくできた道路(以前紹介した三陸道両石ー片岸)によじ登りました。
女遊部(おなっぺ)の集落は被害を受けていないのでそこへ行こうということで年寄りは車(トラックや消防車)で運びあとは歩いて行きました。
15軒ほどの集落の中に台所とトイレのついた2間の集会場がありそこと隣の神社にお世話になりました。
女遊部の皆さんは自宅にあるストーブ、布団、毛布を提供してくださいました。
発電機で電気もつけてくださいました。
食料も皆さんの蓄えていた米や野菜で、食事はお握りの他に温かい味噌汁もつきました。
炊き出しも婦人部の皆さんがやってくださりました。


私は一晩で出ましたが、両石の皆は釜石中学校の避難所に移動するまでの3日間お世話になりました。
もし、女遊部の皆さんが受け入れて下さらなかったらここにいなかったかもしれません。

女遊部の皆さんありがとうございました!


*残してきた方々と別の4.5ヶ所の高台に避難していた方々も翌々日には合流しました。