女遊部(おなっぺ)の皆さんありがとう! | 釜石【鉄と魚とラグビーの都(まち)】を深~く味わう虎の巻

女遊部(おなっぺ)の皆さんありがとう!

季節はずれの雪が降った釜石です。

電気が通ってもケーブルテレビの為にテレビの見れない家庭が多いです。
ケーズデンキが営業を始め充電器が手に入ったので携帯でテレビを見ています。

ついつい『金八先生』を見てしまいました。何を隠そう第一回目の卒業生と一緒でございます。(歳がばれる)
合格発表の日の午前中のお別れ会で泣きながら皆で『贈る言葉』を歌ったのでした。
もう全員揃うことはないんですね。



震災から2週間目の25日に読売新聞の岩手版に私の津波の体験が掲載されました。
紙面の関係上仕方がないんでしょうがかなり割愛されました。
どうしても削って欲しくない部分があったんです。
それは…

震災の晩、高台の2件の家で休ませて頂いた私達は、このまま居てもどうにもならないということで怪我人、病人、歩けない老人残し山際をつたい瓦礫の上を通り国道へ出ました。
不思議と国道には瓦礫はありませんでした。
恋の峠から新しくできた道路(以前紹介した三陸道両石ー片岸)によじ登りました。
女遊部(おなっぺ)の集落は被害を受けていないのでそこへ行こうということで年寄りは車(トラックや消防車)で運びあとは歩いて行きました。
15軒ほどの集落の中に台所とトイレのついた2間の集会場がありそこと隣の神社にお世話になりました。
女遊部の皆さんは自宅にあるストーブ、布団、毛布を提供してくださいました。
発電機で電気もつけてくださいました。
食料も皆さんの蓄えていた米や野菜で、食事はお握りの他に温かい味噌汁もつきました。
炊き出しも婦人部の皆さんがやってくださりました。


私は一晩で出ましたが、両石の皆は釜石中学校の避難所に移動するまでの3日間お世話になりました。
もし、女遊部の皆さんが受け入れて下さらなかったらここにいなかったかもしれません。

女遊部の皆さんありがとうございました!


*残してきた方々と別の4.5ヶ所の高台に避難していた方々も翌々日には合流しました。