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3月のある日

身体に初めての症状


こんな時いつも過ぎる

死ぬかも…の恐怖


これが始まったのは

6歳の時

学校で窓ガラスのひびを指で

なぞってチクっと痛みを感じた瞬間




保育園の先生に


「ガラスを踏んだら身体の血管を

通って心臓に刺さって死ぬから踏んだらだめ!」


と強く言われた記憶が蘇り



あ、死ぬ



と確信し


私が死ぬと知ったら母や祖父母が

悲しむと思ったら誰にも言えず

毎晩1人でひっそり泣きつづけ





一週間ほどして

意を決して遺言のつもりで母に



「ここにガラスが刺さったから、

もうすぐ死ぬと思う。ごめんなさい、

いままでありがとう。」



というと



夕飯を作っていた母は

手を止めて私の手を取り


「どこ?」と尋ね


ここと見せると


「もう傷もないじゃない、大丈夫!死なないよ!」


と私の手を2回ペチペチと叩き

また夕飯を作り出した


あまりに呆気なく否定されたので

拍子抜けした



ちなみに

ガラスの破片は6年後に

突然私の指から出て来た



物心ついた時から

毎年必ず学校で戦争映画を

観る環境で


私は頭上を飛行機やヘリの音に

原爆が落ちてくるかも

と怯え



闘病をテーマに作られたドラマや

映画を見たあとは



成長痛にさえ

死の恐怖を感じながら育った



人生で1番の闇落ちで

いつ死んでもいいと思って生きた

10年以外は常に死の恐怖とともに

生きてきた



身体に異変を感じる

死の恐怖を感じる

誰にも言わずしばらく1人絶望する

散々先延ばしにした後

検査を受け異常なし

安心するも

この時点で気疲れしていてHPは

ほぼゼロのため

しばらく冬眠する



というパターン



今回は家族の検査入院とも重なり

更に不安が限界となり


初めて大阪の親友に電話





「もしかしたら〇〇かもしれない…。」

「病院に行くのが怖い。」

「死ぬかもしれない。」


と話すと


「ちょうど数日後に東京に行くから

一緒に病院行くわ。一緒にはいれへんくても、

近くで待っとくから。」


と言ってもらい



ちょっと泣いて

友達の提案をありがたく受ける事に



そして

電話を切った直後から


私は未来をイメージしはじめ

自分に聞いてみた


病院に付き添ってもらえる事は

もちろん嬉しいし安心だけど


久しぶりに会える親友との時間を

検査に使いたいのか?


今病院に行っても

私は親友が隣に居てくれる安心感を

感じられるんじゃないか



と思えた私は



病院を探して最短の日に

検査の予約を入れて


検査を受けると親友に連絡し


当日

進捗を親友にLINEで

聞いて貰いながら




内心ブルブルしながら

2つの検査を受けた



検査結果は良性腫瘍で

あったことに安心して

少し泣き


親友と家族に連絡をした



そして

親友が病院に付き添ってくれる

予定だった日


私たちは大好きな明治神宮の

芝生でピクニックランチをして



これからの事を沢山話して

沢山笑った


死の恐怖を1人で抱え込む

長年のパターンを

変化させて貰えたと

心から感謝した

忘れられないピクニックになった


涼ちゃん

ありがとう


 

 

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