見に行く人、行かない人 | M3遣いのブログ

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ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

ここ数日、某公共放送は祝賀行事やパレードに関連した番組ばかり。

テレビのインタビューで、祝賀パレードを見るために○○からはるばる来ましたとか、朝から何時間も並んで待ちましたとかやってるけど、なぜそこまでして見たいと思うのかよく解らない。人それぞれだから構わないけど。

歌手やスポーツ選手のファンが、空港や会場などで出待ちするとか、少しでもいい席を確保するために長時間並ぶというのはまだ理解できる。でも、偉い人とか有名人を見に行こうという心理はどうもよく解らない。

僕は福岡ソフトバンクホークスのファンクラブに入っていて、試合を観に球場には行くし今年の日本一はとても嬉しいけれど、優勝すると毎回行われるパレードに行ってみたいと思ったことはない。

思想や信条とか、そういう小難しい理屈は抜きにして、人は「見に行く人」と「見に行かない人」に分けられるんじゃないのかなとも思う。どちらがいいとか悪いとか、熱中度とかじゃなく単純に。

価値観の違い?いや、違うな。なんだろう。


テレビをはじめ様々なメディアで、「令和という新しい時代に・・」と判で押したように繰り返されているけれど、僕はそんなフレーズに違和感しか感じない。

元号が変わったからといって、暮らしが変わるわけではない。朝が来れば仕事に出掛け、生活のためにあくせく働いて、食べて眠る。毎日毎週毎年繰り返されるその営みは、平成だろうが令和になろうが、何も変わりはしない。

今回の一連の報道を見ていて、祝賀行事やパレードを見ようと集まった大勢の人たちが打ち振る無数の日の丸の小旗と、繰り返し演奏される君が代のメロディ、万歳の大合唱に、漠然とした不安というか胸騒ぎのようなものを感じてしまうのは僕だけなのかな。

日本が先の大戦の反省を踏まえて憲法に明確に規定した戦争と武力の放棄。

これを変更して、日本が再び戦争に加担する国へと舵を切るために、今回の一連の行事も含め体(てい)よく利用されているのではないかとも感じます。

僕らの子や孫、その後の世代が安心して暮らせるためのバトンを渡していく責任を、現在(いま)大人である僕らがまさに負っています。

愛の反対は憎しみではない、無関心です。と誰かが言いました。(初出はマザーテレサではないそうです)

今日のパレードのテレビ中継を見ながら、興味はなくとも無関心であってはいけないとあらためて思いました。