このところテレビのニュース番組を見るのが気が重い。じゃ、見なきゃいいじゃんっていうご意見はさておき、気が重い理由は毎日毎日、「もりかけ」問題とアメフトの事件のことばかりやっているから。
たぶん僕だけじゃない少なくない人たちが、首相にも某大学の監督にも「いい加減本当のことを言えよ!」って感じていると思う。
アメフトの件に関して、反則タックルをした選手の記者会見と、その翌日に行われた監督・コーチの会見を聞いて、「あ、そうだったのか」と僕自身勝手に腑に落ちたことがあります。
普段ワイドショーを観たりネットを検索しまくったりしているわけではないので、もしかしたらすでに誰かが同じことを言ったり書いたりしているのかもしれませんが、現時点で純粋に僕自身が感じていることを書いてみます。
まず、記者会見した選手に関しては嘘偽りなく真実を語ってくれていると感じます。そのうえで、監督やコーチに責任転嫁することなく真摯に謝罪し、「(実行してしまったのは)自分自身の弱さ」「アメフトを続ける権利(資格)はない。やめます。」という言葉には誠実さと強い決意が伺えました。
一方で、監督&コーチの会見が報じられた直後は、表面上は全て監督である自分の責任と言いながら、嘘を並べ立てて結局責任逃れをしようとしているな、としか受け取れなかったのですが、少し時間が経ってふとこんな風に思いました。
相手のQBを潰してこい(あわよくば戦列を離れざるを得ないほどのダメージを与えてこい)とは言ったが、まさかあんなあからさまにやるとは思わなかった、というのが本音ではないのか。
乱暴な喩えですが、監督が「相手の鼻っ柱をへし折ってやれ!」と送り出したら選手が「指示通り目の前で骨折させてきましたけど」みたいな。
再三取り上げられている、「監督やコーチの指示と選手の受け取り方に乖離(かいり)があった」というフレーズは、「怪我させて来いという意味ではなくそれくらいの気持ちでぶつかってこい」という乖離ではなく「(審判や観客やメディアに)気づかれないようにうまくやれ(潰せ)というつもりだったのに」という乖離ではないのか。
しかし、もし僕が思っているようなことが真相としてあったとしても、仮にも大学スポーツという教育の枠組みの中で行われている以上、口が裂けても今さら真相はこうですとは言えないのではないか、と思うわけです。
これまでも、さまざまなスポーツで将来を期待された選手が競技中の怪我やアクシデントが原因で能力を発揮できなくなったり選手生命を絶たれたりしたというニュースに接してきたけれど、もしかしたら表沙汰にならないところで今回のようなケースがなかったとは言い切れない。
会見での監督の言葉の裏には、そういった一種の「なんで俺(&今回)だけ・・」という無念さがにじみ出ているようにも見えました。
だからといって、彼や大学の不可解な対応を擁護する気持ちはさらさらないし、わざとレギュラーから外して精神的に追い込むなどという昔の「スポ根」もどきの手法が容認できるはずもない。
図らずも被害者、加害者となった選手が何とかこの逆境を乗り越えて、立派な社会人として巣立ってほしいと願うとともに、(政治のニュースで聞き飽きた言葉ですが)組織として膿を出し切って本来の大学スポーツとしての姿を取り戻してほしいと願うばかりです。
「記録も記憶もございません」と厚顔無恥な答弁を繰り返し、なりふり構わず首相の座にしがみつこうとする哀れな人をトップに戴かざるを得ないこの国の未来を憂いながら、新聞の特売チラシをチェックして来週の晩ごはんの献立を考えている俗な僕です。
『生活は生もの』(せいかつはなまもの)
某地元スーパーのキャッチコピーですが、けだし名言だと思います。美味しいお肉が食べたい。