戦争の時代を実際に経験した人から、直接お話を聞く機会がありました。
もしかしたら再び日本が戦争に巻き込まれるかもしれないという今、僕らは過去の戦争の体験を直接聞ける、まさに最後の世代です。そう思って、僕自身が企画しました。
話してくれたのは、今年86歳になる地元のおばあちゃん。86歳といっても、目も耳も足腰もしっかり。今年、60年以上連れ添った連れ合いさんを91歳で見送って、今では独りで生活してあります。
僕が聞き手となって戦争当時の様子や、その時思っていたことなどを質問していったのですが、驚いたのはその記憶の細かさ、正確さ。
70年以上前の数々の出来事を、まるで昨日のことのように鮮やかに再現してくださいました。
開戦当時(昭和16年)おばあちゃんは10歳。終戦時は14歳。まさに、多感な少女時代を戦争の真っ只中で過ごされてきたのです。
戦局が悪化しはじめた昭和18年暮れ、持病があったお父さんまで兵隊にとられてフィリピンに出征していったこと。
戦地のお父さんから、「お母さんを助けて、弟たちの面倒をしっかり見るように。」と手紙が来て、その約束を守ろうとがんばったこと。
小学校を出て、上の学校に行かず家の手伝いをするよう言われたけれど、どうしても勉強がしたくて、母親や親せきを説得してなんとか女学校(現在の中学校)に行かせてもらったこと。
念願の女学校だったけれど、勉強と学徒動員の労働が半々で、飛行場(現在の福岡空港)の滑走路造りの作業に行っていたこと。
現場で働かされていたアメリカ軍の捕虜の人たちが、手作業で延々と土を運ぶ作業を見て、「アメリカはブルドーザーで一気にやる。結局戦争に勝つのはアメリカだ。」と言っているのを聞いて、反発したけれど内心そうかもしれないと思ったこと。
そして、終戦間際の昭和20年6月の深夜、突如襲ってきた空襲(福岡大空襲)のお話。
B-29(戦略爆撃機)が来ると聞いていたけれど、実際に夜空に見えたのは胴が二つある小型の戦闘機(おそらく、ロッキードP-38ライトニングだと思われます)だったこと。
空襲警報が鳴らなかったため防空壕に逃げ込む時間がなく、三人の小さな弟たちを庭の木の根元に集めて布団を被せたこと。
袋小路に逃げ込んだ牛のお腹に爆弾の破片が刺さって苦しそうに鳴いていたこと。
焼夷弾の油をかぶって火だるまになり大やけどを負った人が、三日三晩苦しんで亡くなったこと。
周辺一帯で被害が集中したのがその町だけで、おそらくその夜大人たちが酒盛りをしていて灯火管制を守らなかったから、上空から明かりを狙い撃ちされたのだろうという話が広まっていたこと・・・などなど。
たくさんのお話の中で、僕が特に印象に残ったことが二つあります。
ひとつは、「戦争中の大変な生活の中で、楽しみは何かありましたか?」と質問したとき。
おばあちゃんは、にこっと笑って、「ありますとも!」と即答。
衣類や反物は配給・点数制(ひとり100点だったそうです)で、その切符を持って買い物に行き、可愛いワンピースを手に入れて近所の友だちと見せ合うのが何よりの楽しみだったそうです。
いつの時代も、どんな状況でも、おしゃれを楽しみ努めて明るく過ごそうとされていたんだなぁと思いました。
もうひとつは、「終戦を知った時、どう思いましたか?」と聞いたとき。
「戦争に勝ったとか負けたとか、全く興味はありませんでした。どっちでもよかった。生活していくのに変わりはないから。ただただ、兵隊にとられたお父さんが一日も早く帰ってきてほしい、戦争が終わったんだから、きっと帰ってくる、そう思っていました。」
出征直後から、毎日食卓にお父さんの分の陰膳をすえて無事を祈っていたそうですが、終戦して一年ほどたったある日、お父さんは木箱になって戻ってきました。その箱の中には、遺骨ではなく紙切れ一枚が入っていただけでした。
その時はじめて、お母さんが炊事場の隅で泣くのを見たそうです。それまでは、お父さん(夫)が留守の間、小さい子どもたちに弱いところを見せてはいけないと、懸命にがんばってきたのでしょう。
人と人との絆をいとも簡単に、そして無残に引き裂いてしまう戦争を、絶対にしてはいけないと、強く、強く思いました。
でも、今の状況は開戦当時の日本の状況に似ていないだろうか。
エネルギー資源を持たない日本は、国際圧力の中で貿易(特に石油)を制限され、窮地に追い込まれてついに自ら戦争をしかけるという愚行を選択してしまった。
ミサイル発射や核実験を繰り返す北朝鮮に対し、世界は圧力を強め、それは国の生命線ともいえるエネルギー資源にまで及ぼうとしている。
圧力と反発の連鎖が何をもたらすのか、僕らは歴史から学んできた・・・はず。
テレビのニュースで、「Jアラート」とかいう不穏なサイレンの音を聞くたびに、今僕らは、再び日本が戦争をするかしないかの、まさに歴史の分岐点に立っているんだと思わされます。
それにしてもあの不気味なサイレンの音、心理学的に考証して作成されたそうですが、僕はどうしても馴染めない。
言い知れぬ不安を掻き立て、「逃げなくては!」というより、固まってしまってその場から動きたくなくなります。ヘタレの自分だけなのかな。