僕の存在価値は | M3遣いのブログ

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ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

突然の訃報でした。

以前の職場で一緒に働いていたRさんが急逝したという知らせが、かつての同僚から。

その人はいわゆる「外注」さんで、システム管理の委託先がさらに雇った別会社の人。

数年間、机を並べて一緒に仕事をしたのですが、真面目を絵に描いたような職人気質のSE(システムエンジニア)さんで、プログラムを書く腕は確かだったけど、どちらかといえば口下手で、うちのスタッフの理不尽な要求にいつも困らせられ、頭を抱えていた姿を憶えています。

他のSEさんと同様、毎日のように遅くまで残業し、土日の仕事もしばしば。残業代ちゃんと貰ってるのかな、休みは取れているのかな、と下世話な心配まで。

家庭持ちということは分かっていたけど、プライベートについて聞いたことはほとんどなく、唯一覚えているのは、連れ合いさんのことを「うちのカミさん」と言っていたこと、たまにある職場の飲み会では、いつもめっちゃ飲んで、一次会ですでに前後不覚になるほど酔っていたこと。

飲み会はどんなに酔っ払っていても必ず最後まで残っていたよと後で同僚から聞かされ、「普段あまり喋らない分、ストレスが溜まっているんだろうなー」と勝手に思っていました。

職場を離れてからも年賀状のやり取りを続けていて、先ごろ「会社を起ち上げました」という賀状をいただき、ついに独立を決意したんだ、うまくいくといいな、と思っていた矢先の訃報でした。

通夜の斎場に着くと、会場に入りきれないほどの何百人もの人でいっぱい。

仕事関係の人たちばかりでなく、地元の人たちや、野球のユニホーム姿の大勢の子どもたちの姿も。

聞けば、地元の少年野球チームのコーチを長年務めていて、皆から頼りにされていたとのこと。

ろくに休みも取れないほど働きづくめに見えた彼が、いったいいつ少年野球の指導をと、当時の自分の不明さを悔やむとともに、まだ四十代半ばの働き盛りに小中学生の子どもたちや奥さんを残して逝ってしまった彼の無念さを思うと、目頭が熱くなりました。

執り行われた通夜も、心の通ったとても温かいもので、彼がたくさんの人たちに慕われていたことがよく解り、残された家族をこれからも支え続けてくれるだろう多くの地域の人たちの姿に、彼も少しは天国から安心してくれるだろうな、とも感じました。

また、現役時代の彼の仕事の姿だけで「寡黙で孤独な一匹狼」的なイメージを勝手に作ってしまっていた自分を恥じるとともに、もしこの僕が急に死んだら、いったい何人の人が悲しんでくれるだろう、日頃から人見知りを言い訳に付き合いを避け続け、友達も極端に少ない僕など、もしかしたら誰も・・と、落ち込んでしまうのでした。

人見知りなのに淋しがり屋の僕の、複雑な一面です。

Rさんのご冥福を、心からお祈りいたします。