ため息の理由 | M3遣いのブログ

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ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

最近、ボスのため息が多い。


ボスの席との距離はおよそ3メートル。ため息が聞こえるたび、僕は顔を上げてそーっとボスの顔を窺ってみるけど、渋面を見せながらもそれについて何か話してくれることは全くない。


ボスに何かため息をつかせるような失敗をしてしまったかしら、迷惑をかけてはいないだろうか?と考えてみても、特に心当たりはないので、困惑しながらも僕にできることはない。こんな時、「どうしたんですか、何かあったんですか?」と声をかけるべきなんだろうか。


明らかにそれとわかるような大きなため息をたびたび漏らすというのは、やはり「ため息をつくほど忙しい」「困難な案件に頭を抱えている」「どうにかしてよまったく!」と部下に知らせたいのではないのだろうか。


以前僕が急病で救急搬送されたとき、採血をするために目の前にいた看護師さんから唐突に、「はぁー・・・」と深いため息を吐かれたときは、ものすごく不安な気持ちになった。大げさにいえば、「自分の命を、この人に預けても大丈夫なのかな」って。


病院の仕事は僕の想像を超えるような激務だろうから、疲労困憊してため息をつきたい気持ちは理解できなくもない。


それでも、採血を待つ自分の目の前でそれをやられると、患者はめっちゃ不安になるということを、身をもって経験しました。


そういう自分も、ため息をつきたい気持ちになることは少なくないし、無意識にため息が出てしまうこともあります。


でも、ボスや看護師さんのように周囲に無用の心配や不安を撒き散らしたくはないので、家族を含め人前ではできるだけそんな姿を見せないように心がけているつもり。


そんな僕でも、あえて誰かの前で「ふーっ」と深いため息をつくことがある。


それはたぶん、「どうしたの?何かあったの?」と声を掛けてほしい気持ちがどこかにあるから。


実際に、そのように声をかけてくれることも多いけど、自分でそう望んでいるにもかかわらず、「いや、何でもないよ。」とつい答えてしまいます。でも、心の中ではちょっと嬉しい。


こんな面倒くさい僕に辛抱強く付き合ってくれる人たちに、ただただ感謝の毎日です。