決定権者の苦悩 | M3遣いのブログ

M3遣いのブログ

ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
日々想うことをまったりと・・・

東日本大震災による津波の被害で43人もの犠牲者を出した南三陸町の防災対策庁舎。

最後まで防災無線で避難を呼びかけて自らも犠牲になった女性職員のエピソードとともに、津波被害のシンボル(象徴)的存在としてメディアで度々取り上げられてきた。

今、その骨組みだけを無残に晒す防災庁舎を、いわゆる「震災遺構」として保存するのか、解体するのか、地元で議論が二分している。

町は、一旦は解体の方針を打ち出していたものの、宮城県の有識者会議が「保存すべき」という結論を出したことで、県が一定期間(20年)所有して保存する、という案が急浮上し、町が態度を保留している状態。

まさにその場所で家族を亡くした遺族の人たちの中にもさまざまな意見があり、「保存」「解体」それぞれに陳情書も出されているという。


僕自身は、できれば残してほしいと思っています。もちろん、自分が現地に行ったこともなく、外野の外野で意見など言える立場にはないことを承知のうえで。

なぜなら、人間は忘却する生き物だから。

今でこそ、「3.11」が近づく度にメディアが震災のことを取り上げ、「風化させてはならない」「二度と同じ過ちを繰り返してはいけない」と声高に叫ばれているけれど、この動きもやがて、10年、20年と経つうちに片隅に押しやられ、やがて取り上げられなくなっていくことは目に見えている。

震度7の地震にも耐えられるという自慢の防災対策庁舎だったものが、3階の屋上をも軽々と超えてしまう大津波によって無残な姿になり、その機能を信じて避難してきた人たちのほとんどが犠牲になってしまった。

その事実の前には、「想定外でした」という言葉は何の意味も持たない。

自然の脅威の前には人間は無力に等しいこと。想定外の出来事は必ず起きてしまうこと。その事実を後世までしっかりと引き継いでいくために、何十枚の写真より、何百分の映像より、何百ページの報告書より、あの庁舎の残骸は何よりも強く、人間の「忘却」に対して警鐘を鳴らし続ける。

もちろん、「見るたびに辛い。一日も早く解体を。」という遺族感情を無視してよいとは思わない。保存が復興計画の妨げになっているとも。

僕は、保存場所は元の場所でなくてもいいと思います。もし、震災の記憶を風化させないために資料館などをどこかに造るのなら、そこに移設してしっかり管理していってはどうだろうか。

ただ、南三陸町のことは南三陸町の人たち自身が決めるべきであって、僕を含め外野やマスコミがとやかく言うことではない。

しかし、住民投票して多数決で決めればいい、といった単純な問題でもないだろう。

ひとついえること。

この議論には、正解もなければ、誰もが納得する結論というのもあり得ない。しかし、「保存」か「解体」か、選択肢は二つしかない。

最終的に決断しなければならない人の苦悩はいかばかりかと思う。


(南三陸町の防災対策庁舎 nippon.com より転載)