記憶色 | M3遣いのブログ

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ライカではなく、BMWのほうです(^^ゞ
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「記憶色」・・・初めてこの聞き慣れない言葉を知ったのは、確か10年ほど前のPanasonicのデジカメのカタログに載っていたキャッチコピーだった。


ざっと説明すると、「人間の脳は、見たものの色を、自分がより好ましいと思う色に脳内で無意識に変換して記憶する性質があります。これを記憶色と呼びます。」


僕にも思い当たることが。高校生の時、何気なく撮影した海に沈む夕日の写真が友人たちに思いのほか好評で、これが僕を写真の道に引き込んだきっかけでもあった。


その写真は、特別に大きなサイズにプリントして、大切にアルバムに貼っておいたけれど、長い間目にする機会はなかった。


その写真を撮ってから何十年も経つ間にも、写真の構図や撮影場所はしっかりと覚えていて、先日同じ場所に立った時に、変わらない景色を眼の前にして、とても感慨深いものがあった。


そして、その記念すべき写真は僕の記憶の中で、忘れてはならない大切な一枚として、心のアルバムに今でもしっかりと貼られている。


先日、現物のアルバムの整理をしていて、久々にその思い出の1枚(現物)と対面することになったのだけれど、記憶の中の鮮やかな夕陽の光景と、現実の写真のあまり見映えのしない薄い色のギャップに愕然とした。


写真そのものが、歳月によって色褪せたのではけっしてない。僕の中の記憶が、勝手に夕陽を鮮やかに変えてしまっていたのだ。


人間の記憶というものは、色の記憶に限らず、自分の都合のいいように、また、より好ましい記憶として次々に書き換えられていくというのは、どうやら本当らしい。


味覚もそう。よく、「おふくろの味」が一番、というけれど、多くは、自分がそれまでに食べた同じ料理のうち、一番美味しいと感じた味を、いつの間にか「おふくろの味」として次々と上書き記憶してしまうそうです。


こんな話を持ち出したのは、最近購入したデジタル一眼レフ、キヤノンEOS KissX7iをしばらく使ってみた印象(インプレ)から。


小型軽量とバリアングル液晶のメリットがどのくらい役に立つのかを検証しようと、ここ最近は7Dを置き、KissX7iのみを持ち出して趣味の撮影で使い勝手を中心に試しているところ。


メイン機EOS 7Dとの詳しい比較は後日に譲るとして、結論から言えば、KissX7iは、入門機の域をやはり出ることはなかった。


その最大の理由が、「記憶色」。


設定をできるだけ普段使いの7Dと同じにして撮影しても、Kissで撮影した写真は、どんな写真でもかなり「盛って」しまう。


緑はより瑞々しく、空は真っ青に澄み渡り、海はどこでも地中海のリゾートのように紺碧に輝く。曇り空に暗く沈んだ都会の街並みも、くっきりとシャープに。人物は、みな若々しく健康的に。


設定をより追い込んでいけば、「見たまま」を再現することも不可能ではないのかもしれないが、Kissの心臓部がそれをかなり困難にしているようだ。


おそらく、Kissが狙うターゲット層には、盛大に「盛った」見栄えのする仕上がりのほうが受けがいいのだろう。しかし、もはやそれは真実を写した「写真」ではない。


もちろん、美化された記憶や、それを再現しようとする技術を否定するつもりはない。自分だって例外ではない。


「記憶」と「記録」。そのギャップを、それを意識させることなく鮮やかに埋めてしまう人のことを、プロフェッショナルと呼ぶのだろう。


自分はとてもその域に到達できそうにはないけれど、生涯に1枚、自分自身が納得のいく最高のショットを、いつかこの手で撮ってみたい。僕の、夢のひとつです。