休日の午前中、暑くなる前にと、朝からトレッキングに出かけました。車で行くことのできない、知る人ぞ知る小さなダム湖。人工の音が一切聞こえない静寂の世界。聞こえるのは、鳥のさえずりと、虫の羽音だけ。湖面に数羽の鴨が群れていたけど、いつの間にか木陰に隠れてしまった。水面を漂うたくさんの花びらが綺麗。日常から解放される、貴重なひととき。
こんな場所が比較的身近にあることに感謝の気持ちでいっぱい。どうかいつまでも、この自然を残していけますように。
さて、やっと本題。トレッキングの途中で道に迷ってしまい、登山道のような丸太で作った階段の細い道に迷い込んでしまった。「おかしいな、こんな細い道じゃないはずなんだが・・・」と思いつつ、息を切らして登っていくと、案の定、丸太で作った階段は突然、途中で終わっていた。その先には、人が足を踏み入れた形跡のない森が広がっているばかり。
仕方なく、階段を下りて引き返したのだけど、私にとって登山の下りほど苦手なものはない。なぜか?
ひとつは、身体能力に乏しく、体のバランスをうまく保てないことがある。特に、写真撮影目的で山に入った時は、荷物も多く大変。一度、島根県の滝の写真を撮りに行ったとき、カメラを抱えたまま足を踏み外して崖から落ちたことがある。幸い、大きな怪我もなく自力で這い上がることができたけど、山道の滑りやすい下り坂は、足を踏み出すのがちょっぴり怖い。
もうひとつ、下りの段差が苦手な理由。自分は、白内障によって左眼だけ眼内レンズを入れている。(「僕が見ているものは」
参照)左と右で、それぞれ焦点距離が違うので、両眼できちんとひとつの物体を視ることが難しい。
具体的にいうと、物体までの距離がつかみにくい。身近なところでは、手術後しばらく、自分の手足の爪を切るのにとても苦労した。爪切りの刃先と、切りたい指の爪がずれてしまう。針の糸通しも厳しい。
そのことと、登山道の階段に何の関係が?・・・じつは大ありで、見えている階段の、高さがわからない。建物の階段は人工物なので間隔は常に一定。だから、実際に距離が測れなくても困ることはない。でも、登山道の下りの段差は、一段一段、全部高さが異なる。
なので、足元に見えている次の段差が、高いのか低いのかが掴みづらく、足が踏み出せないのです。登りの場合は、段差の高さが片眼でも見てわかるので問題ない。下りだけの問題。
高い所は大好きなので、あと先を考えずにがむしゃらに登ってしまって、下るときに後悔。毎回のように繰り返してしまう。先日テレビでやっていたけど、単焦点ではない、可変焦点の眼内レンズもあるそう。でも、健康保険の適用外で、片眼だけでも数十万円かかるらしい。
それだけの負担はできそうにないので、これからも、慎重に歩いて事故や怪我のないようにしなければ。それよりも、もう少し体を鍛えないと、自分自身情けない。足の痛みもようやく折り合いがついてきたことだし、日課のウォーキングを再開して、体力を強化しなければ。心地よい汗をかいて帰って来てからのビールならぬチョコボール(アイス)を楽しみにして。
