今日は、10台目の愛車を紹介。日産スカイライン(R32)4ドアセダン2000GTE(5MT)。R32スカイラインが鮮烈なデビューを飾ったのは1989年(平成元年)。だけど、自分が憧れのR32に乗ることができたのは6年遅れの1995年。中古を探したとき、マニュアル車にこだわったので、日産プリンスの中古車センターで引っぱって来れたのはこのGTE(SOHC・125PS)しかなかった。それでも、一応6気筒だし、運転の楽しさは十分に味わえた。
今思えば、あの頃の車種のラインナップって、ずいぶん多彩だったんだなー。排気量のバリエーションは今でも普通にあるけど、当時のスカイラインは、同じ排気量でもSOHCのGTEと、DOHCのGTSを同時にラインナップしてたんだ。
歳がバレちゃうけど、あの頃DOHC(ダブルオーバーヘッドカムシャフト)は、僕らの憧れだった。特に、垂涎の的はTWINCAM24(ツインカム24バルブ)。6気筒DOHCだけに許されたその称号を手に入れたくてバイトや節約に精を出し、中にはSOHC(シングルカム)なのにハッタリでステッカー貼る輩も後を絶たず。
あと、ナンバープレートの字光式。このR32もそうしてたけど、当時の僕らにとって光るナンバープレートは必須アイテム。なぜって、光ってカッコいいのはもちろんだけど、ナンバーで意外に大事なのが、アタマに付く「ひらがな」。良くは知らないけど、現在も希望ナンバーは4ケタの数字のみで、ひらがなは自分で選べないんじゃないかな。
必死でバイト代貯めて、クルマを買い替えて友達に自慢したいのに、ナンバーに「へ」とか付いてたらそれこそ凹む。その点、光るナンバーは、当時福岡では「め」と決まっていた。めっちゃカッコイイ。だから、お財布に多少無理をさせてでも、クルマを買い替える度にがんばって字光式にしてた。あと、秘かに裏側の電球を青いのに替えて、微妙に青緑っぽくしたりとか。
R32スカイラインには、2台合わせて6年間乗り続けたけど、とても良いクルマでした。シートやスイッチ・レバー等が人間工学に基づいてきちんとレイアウトされていて疲れないし、見切り(車の周囲の状況確認)も良好。ターボ(GTS-tタイプM)やGT-Rは高くてとても買えなかったけど、同じスカイラインに乗っているということだけで誇らしかった。
このクルマは、自分の不注意による独り相撲で、2年ちょっとしか乗れずに廃車になってしまったけど、感謝と思い入れのある一台です。