1では、山本太郎さんと原口一博さんの(つまり、れいわ新選組とゆうこく連合の)連携の可能性を考えてみました。

 

しかし山本さんも原口さんも、連携しようと言っているわけではないし、周りから言うと逆効果だった先例もあるので、おせっかいおばさんみたいな真似はしない方がいいのだろうとは思います。

 

ただし、立憲民主党とれいわ新選組が対立関係を際立たせてきているので、政策が近い人については、期待はしなくても、潰し合いにはならないように、距離を取って付き合った方がいいんじゃないかとは思います。

 

もし立憲民主党の「心ある議員」と外部から思われている人が、本当の気持ちを言うと、党内で不協和音が起きるので、自分たちが役員になる番が来るまで待っておくしかないと考えているのであれば、期待して待つこともできるかもしれません。

 

しかしおそらくは多くの人が、今の現実が見えてなくて、一昔前の感覚で今もいるのではないかと、段々思えてきました。

 

時代に取り残されているのは、経済生活に没頭してきた一般国民だけでなく、国会議員もだ、ということなんでしょう。

 

国会議員の中で、政策が近い人でも、感覚や優先順位が今の時代に適合していない人が多いと思われます。

 

小沢さんが民主党から出て生活の党を作った時のように、考え違いをしている政党から有志が出て、別のところに政権を担える政党を作ろうとする動きは、小沢さんの政党自体が規模縮小の憂き目に遭ったということもあり、続けて似たことをする人が出なくなってしまっています。

 

山本さんはそこを果敢に試みて、1議席で出発した政党を、少し大きくすることには成功しましたが、政権を担えるような政党にはまだなっていません。

 

支持者の中には、考え違いをしている政党を出て、有志がれいわ新選組に合流してくれないかと考えています。山本さんも、そのアイデアは持っていますが、国会議員の現状について、冷徹な理解をしており、票か金にならないと彼らは動かないと見ています。心ある人はいるとしても、無所属立候補とほとんど同じになる弱小政党への加入には、二の足を踏むと考えています。それで、まずれいわ新選組が、(ボランティアの力を増すとか、一般国民の期待値を上げて)安定して議員を当選させられるようになることが、先に起こらなければならないと考えています。

 

この話の前提は、他党にも「心ある議員」がいて、その人たちの真心は本物。しかし当選できないと仕事ができないという思いから、大きな政党からは離れられないのだ。という理解があります。しかし実際は、そこまで信頼できる議員は少なくて、何か勘違いしている人、感覚が時代遅れになっている人が多いんじゃないでしょうか。

 

どいつもこいつもポンコツばかり、だということになると、他にも絶望的なことが多いのに、ますます絶望しなければならないので、「心ある議員」はいるととりあえず思うことにしているのかもしれません。

 

できることは、何でも少しでも改善するように心がけることで、それができれば、後の世代の人がその資源を使うことができます。先人の善意の蓄積によって、今の僕たちが生かされているように。

 

 

それから、日本に政権交代を根付かせようとする運動の始まりには、「保守の二大政党制」というアイデアが、どうやらあったみたいです。

 

当時は政治の腐敗が問題視されていたので、政権交代が起きないことで腐敗が直らないのだ、という発想が出てきて、次いで、社会党が万年野党で、政権を取る気がないから悪いのだという発想になったのかもしれません。

 

それで自民党から飛び出した人が、新しい野党を結成して、社会党とは違い、政権を取りに行くのだ、という計画が打ち出され、これに賛同する人が多く出たものと思われます。

 

そこまではみんなわかっていることだと思いますが、そこで「保守の」というところに、かなりの力点を置いて理解した人がどうやら多かったみたいです。

 

小沢一郎さんも、多分、保守の二大政党制という発想だったんじゃないでしょうか。小沢さんは、もうひとつの政党はリベラル政党でも良いという考えを述べていましたが、これは政権交代を起こすことが主で、どういう政党が政権を奪取するかは二の次と考えたからだと思います。つまり本当は保守政党がもうひとつできたらいいと思っているが、それが難しいようであれば、公明党を入れてもいいし、社会主義政党を入れてもいい、ということになったんじゃないでしょうか。政権交代のためには、なりふり構わないという小沢さんの基本の姿勢が出た形じゃないでしょうか。

 

とはいえ、今の小沢さんでも、共産党と連立政権を組むことは、考えられないということを言っていました(小沢さんは彼らの方が望まないと勝手に決めていたけど、志位さんは閣内に入ってもよいと考えているようでした)。

 

きっと小沢さんの中にも、反共思想がいくらかあって、日本の赤化は許されない、という発想があるのではないでしょうか。共産主義化は、共産主義国の評判が地に落ちているために、やりたがらない人が多いと思います。しかし小沢さんの国連中心主義も、対米従属の研究の成果を踏まえると、対米従属を悪化させるだけと考えられます。つまり、反共意識も国連中心主義も、冷戦時代の産物で、もはや時代遅れなんじゃないかと思われます。共産主義化を今からやりたい人は少なくても、資本主義が野放しになることで深刻な被害が出ることが現在進行中の危機という認識はあるので、現状を見直すためにマルクスも勉強したいという人はいるかもしれません。

 

他にも、政権交代可能な政党は、保守でなければならない、社会主義者を入れるわけにはいかない、という考えの人が、大勢いると思います。労働組合の支援を受けていても、労働組合は社会主義者ではないという理解なんでしょう。企業経営者を尊重し、協力するような組合なので、プロレタリアート独裁のような体制転換は望んでないという理解なのかもしれません。

 

原口さんも、保守の二大政党制というコンセプトに惹かれて、自民党を出たという経緯みたいですが、原口さんに関しては、保守かリベラルかの区別にはあまりこだわっていないようです。

 

山本太郎さんについても、政策が近いということもあり、また人間的にも好感を持っているということもあって、勉強会の講師を依頼したみたいですが、山本さんの側が頑なで断ってきたみたいです。それでも、れいわの他の議員の方々とは、来てくれる人については、良好な関係を保っているみたいです。

 

山本さんが来てくれないことについては、原口さんの方では、立憲民主党がひどい仕打ちをしてきたせいで、感情的にこじれてしまっているせいだろうと考えているようでした。

 

山本さんは、自分が出る選挙について、立憲民主党の東京都連と、水面下で交渉していたみたいなので、必要があれば交渉のテーブルにはつくということだと思いますが、受ける話と断る話を、はっきりと区別していることは窺えます。

 

正式な交渉なら受けるが、談合政治のような、曖昧で策略を弄するような場には行かないという考えも窺えて、僕はそんな裏事情はわからないので、確かに警戒した方がいいのかもしれない、と思いつつ、警戒しすぎではと思うところもありました。

 

先日、学校の勉強で、将来意味があるかどうかを考えて、やる科目とやらない科目を区別していたという話を聞いて、元々、自分の判断でやるやらないをはっきり決める人だったんじゃないかと思いました。そういう人なんだから、しょうがないということかもしれないです。

 

原口さんの方では、相手から拒否されても、理由なく、自分の方からは嫌いにならないようにしているみたいなので、これ以上、関係は悪化しないようです。

 

原口さんは以前、菅野完さんとXで会話したら、陰謀論に加担していると咎められて、傷ついているようでしたが、それでも菅野さんの評論を尊敬している気持ちは変わらないというふうに話しておられました。

 

一方で原口さんは、対米従属とかザイム真理教とか、日本のためにならない考えを信奉している人については、感情的な行き違いなどがなくても、強い拒絶の姿勢を見せていました。

 

つまり、人は理念の世界で判断し、感情の世界では判断しないという態度を貫こうとされているんだと思います。

 

リベラル派は、基本的に、アンチ・ファシズムで、陰謀論は反ユダヤ主義と重なるので、陰謀論的なにおいがするだけで、要注意のシグナルが鳴ってしまうんだと思います。山本さんが、拒絶的な態度を取っているのも、そこと関係しているのかもしれません。

 

陰謀自体は、ジャパンハンドラーズの暗躍の問題など、山本さんも受け入れているものがありますが、学問的な裏付けがまだ定まっていないものでも、原口さんは先進的に受け入れているので、山本さんの受け入れ可能でない領域まで、原口さんは先に行ってしまっているのかもしれません。

 

原口さんも、根拠があるものしか信じない態度だと思いますが、現実はどんどん先に行っているので、まだ定評のあるものでなくても、疑惑があるだけで、とりあえず調べる必要があるし、学者のお墨付きが出るまで待つこともしない、ということだと思います。要するに、果敢に挑戦していくタイプなんだと思います。

 

その点で、助かっている人もいて、ワクチンの被害などは、学問的に確かにそれはあると、なかなか保障してもらえないので、原口さんのような人が、取り上げてくれると助かっているだろうと思われます。因果関係は公的に認められていなくても、苦しんでいる人は現にいるわけです。