今回の更新で、かなりいろいろ大盤振る舞いがあったので、アイテムを受け取ったり、権利を受け取って行使するのに忙しかったです。大盤振る舞いが過ぎると、うれしいを通り越して、負担感が出てきたりして。でも嫌なわけではないですが。

 

いちいち数えてなかったですが、10連ガチャを10回くらい引けたような気がします。キャラクターが3人当たりました。

 

目当てのキャラクターが欲しいという欲望を捨てて、手に入ったキャラクターで何とかやっていくと考えるなら、全く困ることない環境になってきました。

 

難易度を下げられる機能が新しく付け加えられたので、ものすごく運が悪い人でも多分、やっていけるでしょう。

 

頂獣がめちゃくちゃ強くて、勝たないとメイン・ストーリーが進まず、レベル上限があって、レベル上げで何とかできない、ということが、障害として立ちはだかっていて、ガチャの運が悪いと、どうにもならないという感じだったので、難易度が下げられると、どうしても勝てない時の救済策になります。

 

ストーリーに興味を持って、先が知りたいと思う人の前に、難しい戦闘が立ちはだかって、何週間も足止めされるということがあったんだと思います。

 

それに対して、何とかしてと悲鳴のような要望が寄せられるというのはわかるし、僕も意見を求められたらそう答えていたかもしれないですが、制作・運営の側で、寄せられた意見を全部、真面目に受け取って、全部に対応しようとする姿勢があるとわかると、お客様が神様で、制作・運営の会社で働いている人が奴隷のように働かされているというイメージにもなってきて、これはいい状態なんだろうか、と少し考えてしまいました。

 

頂獣は、人間に倒せるとは信じられていない、異常に強い存在ということが、物語の中では言われているので、それに合わせて、ゲームとしてもものすごく強い特性を与えてしまったということなのかもしれません。それは素朴な発想ですが、息抜きにゲームをしている人は、そんな過酷なプレイ体験は求めていなかったわけです。

 

いや、この難しさに付いてきて欲しいのだ、克服した時にはきっと喜びが感じられるから、と、フロム・ソフトウェアのような発想を、ここの制作者さんは持っていたわけじゃなくて、単に、楽しい、うれしい、面白いと感じてもらいたいだけだったみたいです。

 

なので、楽しくない、苦しいという声が寄せられたので、それは悪かったと反省して、作り直しに応じた、ということだったら、悪いことではない気がしますが、ビジネスとしてやっている面もあるので、顧客満足度を高めて収益を出さなければならないという事情もあり、その側面から、苦境にあって、何かを変えなければならないという発想があると、また話は違ってきます。

 

お金は一定額出そうと思うけれども、出しても得られる効果が限定的で困るという声があり、その声に応えると、効果が見込めるかもしれません。

 

でも僕のようにほとんど課金していない人がいくら喜ぶようにしても、あまりビジネスの改善にはつながらないような気もします。

 

頂獣は強いという設定なので、ゲームの中でも強くしようと、素朴に考える人が多くいるのなら、ビジネスとして不調なので、そういう時は、ユーザーが喜ぶように、言われるがままに改善をしたらいいんじゃないかと、素朴に考える可能性があるのかもしれません。

 

ある程度、ユーザーの利便性を考えることは必須かもしれません。みんな仕事をしていたり学生をやっていて、余暇時間にしているだけなので、あまり全面的に関与できないからです。面倒くさいことが多すぎたら、好きでも去っていかなければならなくなるかもしれません。

 

かといって、作家性のようなこだわりがなくなると、関与する理由や動機がなくなってしまうので、こだわりを保つことも必要じゃないでしょうか。

 

ストーリーに対してどうこうしろと言う要望ももしかしたらあったかもしれませんが、それについては無回答でした。全く気にしないわけではなくて、真面目に聞くべき批判があれば、それは取り入れて反映させるかもしれませんが、内容までユーザーの要望通りにすると、骨抜きみたいになってしまわないか心配になります。

 

週刊少年ジャンプはそういうシステムでやって、面白い作品を生み出していたようですが。

 

 

16章も少し進めましたが、ヴァレリアが人工生命体=ホムンクルスだったのでは、という話になってきています。

 

ヴァレリアの自己意識は強くて、自分に記憶がない理由が、魂の疾患としての記憶喪失ではなくて、人工的に作られたために過去の記憶がないのだという疑惑を突き付けられて、ショックは受けていますが、言われた通りに信じるほど弱くはなかったようです。

 

クリセルダが100%本当のことを言っているかわかりません。何か隠しているかもしれないし、嘘をついているかもしれません。クリセルダが何を言っても、信じるかどうか決めるのは自分だ、とヴァレリアは考えているようです。

 

戦いに向かう自分の特性は、そんな性格に生まれついたということではなくて、錬金術師によってそう決められ、そう作られたから。ヴァレリアがレスナを助けたいと思うのも、人工生命体が錬金術師に奉仕するように作られたから。自由意志でそう思っているのではない。

 

そういうアイデアは、やはりアイデンティティーの危機に結びつくだろうと思います。それでヴァレリアは、上の空になって、周りで誰かが話しかけても聞いてないということが多くなっています。

 

クリセルダがヴァレリアに何を言ったか、それは結局、他の仲間には共有されませんでした。単に、勧誘に来て、たまたま探しに来た他の仲間が邪魔になって、目的が達せられなかったと思われています。

 

ヴァレリアがみんなに、本当は何が起きたのか言わなかったのは、自分がショックを受けていたからであり、また戦闘的な人工生命体の受け付けられた本能が一時的に目覚めたため(つまり一種の興奮状態にあったため)です。

 

でもヴァレリアは、みんなに言っても良かったのに、タイミングが合わなくて言いそびれたと考えています。ただし、不確定の情報をみんなに言って、それが既成事実化するのは、改めて考えたら自分が望むところではない、という思いもあるようです。

 

自分がホムンクルスであることが事実としてみんなから受け止められてしまうと、自分が人間で記憶喪失なだけなのだ、という可能性がこの世から消えてしまうように思えたから、でしょう。

 

本当にホムンクルスだったのなら、それは受け入れざるを得ないですが、まずは先入観を持たずに、情報を集めよう、という考えになっています。

 

それは、自分が人間である可能性をつなぎたいという素朴な要求であるような気もするし、誰かに何かを言われてもすぐに信じるのではなくて、自分でよく検討してから何を信じるのか選びたいという、自我の強さの反映のような気もします。

 

僕から見ると、ヴァレリアは肉体的に強いだけでなく、魂的にも強いように見えました。

 

結論としては、ヴァレリアが人工生命体であっても、ハイディやフロッケたちを家族のように感じていることや、レスナに友情を感じていることは、ヴァレリアの本当の気持ちであり、新たに生成されたものであって、植え付けられたものではない、と言うことができそうです。

 

ただし、ヴァレリアが人工生命体だった場合は、両親との関わりも子供時代もなく、あるのは生みの親の錬金術師の存在だけ、ということになります。それはそれで、普通の人間のたどってきた道とは違っていても、人生のプロセスには違いないと言うことはできるかもしれません。

 

関わった人が愛情深い人だったのなら、少し変わった人生のプロセスをたどっても、それら全体を誇りにできる、ということなんじゃないでしょうか。逆だったら、標準的なプロセスでも、あまり親近感を持てなくなります。

 

ヴァレリアはずっと考え事をしていて、上の空なので、ハイディもフロッケも心配していますが、一人にしておくのは心配だから、今晩はずっと一緒にいると言っていたフロッケが、ヴァレリアと視聴者にしか明かされてない、実際に起きていたことを、一番察知していた人になると思います。

 

ヴァレリアは一人にしておいたら心配な状況でした。アイデンティティの危機に陥っているし、クリセルダのように、不安定になったヴァレリアに対して、利己主義的に利用しようとしてくる存在がいるわけですから。