都知事選の結果はゼロ打ちだったそうです。小池さんが勝利でした。

 

何か言うためには、「投票率」と「得票率」を見る必要がありますね。

 

僕は詳細を知らないのですが、選挙期間中に、「ひとり街宣」と呼ばれる市民運動が起こったそうで、予想では、小池さんの落選運動か、蓮舫さんの応援だったんだろうと思います。これは新しい動きなのかもしれません。

 

「ひとり街宣」が僕が思っているようなものであるなら、その意義は、選挙の構図を正しく読み取った人が、各自で自発的に行動してあるべき運動を形成するということが、日本社会の先進的な人によって成し遂げられている、ということに思えます。

 

これは本質的には、自発的に判断して、蓮舫さんの事務所に行ってボランティアとして働いた人も同じだと思います。

 

旧来のやり方は、友達に頼まれたから、友達に誘われたから、という理由で、しがらみの中で、どの候補者を応援するかを決める感じになると思います。

 

新しいやり方は、自発的に選挙の構図を読み解くのに加えて、自発的に動いて、周りに呼応する人がいなくても、一人で行動できる人が出ているということです。

 

これが進むと、幅広い連帯が生じ、今必要な運動が、自然に立ち上がってくるかのように現れるということになると思います。今のままではまだ、限られた個人が散発的にやっている感じになると思います。

 

それから、石丸さんが2位になりそうな見通しだという話も聞きました。

 

石丸さんについては、政策を見て内容で決めた人もいるのかもしれませんが、僕の感覚では、石丸さんが2位ということについて、あまりいいイメージは持てません。

 

小泉純一郎、橋下徹、小池百合子、石丸伸二という、何かの共通項を持つ人たちの流れを見てしまいます。僕の見立てでは、劇場型の政治家ということです。

 

いつになったらこの流れから卒業できるのだろう、というのが率直な感想です。

 

前に信じて裏切られ、それを振り返って反省した、ということだったら、次に同じ失敗はしないと思うんですが、前のことは忘れて、次にまた同じような人に惹かれる、みたいなことが起きている感じがします。

 

山本太郎さんは、都知事選に参加する時間を一切省いた代わりに、その時期を北海道から東北にかけての遊説に当てていました。その分だけ、声を届けることができ、意見交換もでき、信頼関係を築けたのでしょうから、節約できた力を有意義に使えたということかもしれません。

 

都知事選に自前の候補を出していたら、当選できなくても、宣伝の効果が出るわけですが、それをすると蓮舫さんが勝てる可能性を狭めてしまうので、そういう意味でも、都知事選にコミットしない判断が良かったのかもしれません。(山本さんは勝てそうにない選挙でも、もし当選しても仕事ができる準備をして臨む主義ではあるんですが)

 

一喜一憂しないで戦い続けることに意義があるという感じかなと思います。ただ選挙戦にがっつりコミットした人はお疲れでしょうし、結果が残念だったので、しばらく休む必要があると思いますけど。