管理人さんのぼやきラジオで、今度オフ会をするという話をされていました。フォロワーの方から、オフ会をやってと言われているそうで、その声に応えた格好です。

 

僕はさまざま事情があって遠出をしにくい状態でもありますし、そもそもオフ会自体に行きたいという発想がないので、参加しますとは言えなかったんですが、何にせよ、こうしたいという前向きな願望を持っている人がいたら、その通りになってほしいなと願う気持ちがあります。これは多分、田舎のおばちゃん的な発想なんだと思います。

 

僕の立場からすると、誰かが人気者で、オフ会やってよと言われているという現実を見ると、自分と差をつけられたようで、うらやましく感じそうになるんですが、実はそうじゃないことに気が付きます。

 

そもそも僕は、対人緊張気味なので、たくさんの人をもてなさなければならない立場に立ったら、緊張してしまって大変な思いをするだろうと思います。

 

おもてなしをしなければという気負いで緊張するのもあるし、その裏付けとなるおもてなしの技術を満足に持っていないということもあるし、さらにはそもそも、人をおもてなしすることがうれしいという気持ちがない、ということがあります。

 

人に楽しんでいってもらいたいという気持ちは、ゼロではないんですが、それこそが自分がうれしいことだ、というほどではありません。そういうのは僕とは違うタイプの人の特徴でしょう。

 

それで、続けて考えていくと、僕は人気者になんてなりたくない、ということがわかってきます。

 

しかし今の世の中では、動員力があると、個人でもスポンサーがついて収入になる(仲介者が広告主とつないでくれる)、ということがあります。単にお金になるというだけでなくて、できたネットワークを通して、新たな情報を流すこともできます(インフルエンサー)。

 

それで個人でも、動員力が、対人関係力や事務処理能力と並んで、人材としての力量をみる要素になっているかもしれません。

 

そういう観点に立つと、また競争心が働いてきて、自分も人気者にならなければならないのではないか、とふと考えてしまうのですが、やはりおもてなしの精神を欠いている以上、そんなところに名乗りを上げたら自分が苦しいだけじゃなくて、人に迷惑をかけることになるでしょう。

 

僕は人気者じゃないですが、ブログを書いているので、そこがある意味でホーム・グラウンドになっていて、それはいいことに思えます。

 

人気者じゃないと、ホーム・グラウンドで何をしても何を言ってもどこにも伝わらないので、自分で伝えることはやめて、他の人が発信している場所に行って、にぎやかしとして参加すると、そこの運動が盛り上がってそこから波及していく、というふうに考えることが可能です。

 

しかし他所へ行くと、そこにはそこの考え方なりルールがあるので、そこに僕が言いたいことを全部乗せられるわけではありません。関係する話題に限っていても、相当の事を落として、わずかだけで満足しなければなりません。

 

そういう時に、ホーム・グラウンドがあると、そこには思っていることを全部書くことが可能です。全部書くと長くなるので、また読んでもらえる可能性が減ってしまいますが、ある意味では、見せるためではなく、考えをまとめるためにやっているとも言えるので、それはそれでいいのかもしれません。

 

その上で、他の人のところに行って、なるだけそこの趣旨と合致する範囲で協力的に行動することで、社会にプラスの影響力を発信する動きの一部になれるんじゃないかと思います。

 

いやいやあなたに何かしてほしいとは誰も望んでいないと言われた場合は、大人しくしているしかないですが、僕に対していろいろしてくれる人や便宜をはかってくれる人がいたからこそ、こうやって生きていられるわけで、それで何もしないと、恩義のもらいっぱなしになるので、返せる機会があるならそれを求めていくべきだという気持ちがあるわけです。

 

それで、まとめるなら、人気は別に欲しくない、ただ社会貢献の機会を求めているだけ、ということになるかもしれません。