僕は、尾形聡彦さんや佐藤章さんや郷原信郎さんの番組を見ていたので、東京都知事選が始まる前から、小池百合子さんの問題点を微に入り細を穿って聞かされていたので、選挙選が始まる頃には満腹感を感じており、正直もうこれ以上知りたくない感覚になっていました。

 

そして、いつもだったら宣伝が上手な小池さんが圧勝の流れで、それに他の候補者がどうやって食い下がるかという展開になるところ、今回は、なかなかの知名度を誇る蓮舫さんが出ているので、小池さんか蓮舫さんか、どちらが勝つかだという分析を聞いていました。

 

石丸さんも人気があるので、石丸さんも勝敗の行方に関係してくる(他の候補の票を削ってくる)と言われていました。石丸さんが人気を伸ばせば、勝つ可能性があると言っている人もいました。

 

そしてこの三人の方、さらに加えるとしても、討論会に呼ばれていた田母神さんを入れるくらいで、他の候補者はほとんど話題に上っていませんでした。

 

そういう感じでしたので、それ以外の泡沫候補のことを話題にする人がいると、不思議な感覚がします。あえてそこを見に行かなければ、僕の前には現れてこない人たちのことを、他の人は関心を持って見ているのだなと思ったからです。

 

おそらくはテレビを見ているか、律儀に選挙公報などを見て、全ての候補者の説明を聞いてみようと思っている人がいるんじゃないでしょうか。

 

畠山理仁さんが、マスメディアの候補者の選別、泡沫候補という扱いが不当だとして、全ての候補者の話を聞くようにとの、民主主義的な運動をされていますが、今はあまり畠山さんの主張に耳を傾ける気があんまりしません。

 

もし世界が平和で、これからの東京をどう創っていくか、有名な人も無名な人もみんなで話し合って考えてみようという機運があるのであれば、それに乗っかってみてもいいかなと感じるかもしれません。

 

しかし利権政治がいつまでも居座って、前向きな改革の動きを全部シャットアウトして、その時期がいつまでも先延ばしされている、という状況が今の状況だと思うので、緊急事態の感覚があって、とにかく災厄を早く終わらせなければならない、という意識になってしまいます。

 

その感覚を共有している人は、おそらくそれなりに多くて、それで次期東京都知事を誰にするか、というよりも、現職の小池さんの解任をいかにして実現するか、という話題が多くなっているのだと思います。

 

僕が見ている世界はそんな感じなので、泡沫候補の世界で何が起こっているのかは、あまり見えてきません。

 

自分のかわいさをアピールしている人がいると聞いたので、どれくらいかわいいのかなと見てみたくらいです。(自分でかわいいと言わなければかわいいと言われたかもしれないという感じの人でした)

 

泡沫候補の世界では、畠山さんが期待しているように、さまざまな境遇に育った人が、自分で真剣に考えた東京の未来像を発表して、自分が選ばれる可能性はあまりなくても、問題提起や議論のきっかけにはなる、といったことが、一部では起きているかもしれません。

 

そして最近の傾向として、それ以外に、選挙の機会を、本来想定されているものから離れて、法律が許す範囲で、自由に何にでも応用できるんじゃないかと気づいた人たちが、自分の活動の宣伝に使おうとしている、なんてことが起きているような感じです。

 

広告効果とか、広告収入とか、そんなことは度外視で、単に自己表現の機会として捉えている人もいるのかもしれません。

 

そして受け手によっては、こういったことをお祭りとして楽しむ姿勢の人もいるかもしれません。

 

しかし日本社会の行く末を心配する、一番真面目な人たちの発信を見ている人だと、現在、あまり泡沫候補の世界には関心をそそられないし、実際に見ることもない、という感じではないでしょうか。

 

浮ついた人か、社会学的な関心を持っている人だけが見る、という感じかもしれません。あとは真面目に、全ての候補者の主張を聞こうと考えている人がそこに加わっているかもしれません。

 

僕も、見る番組を適当に選んでいて、もっと重要なものはないか目を光らせて見ているわけではないので、見逃している貴重な発信があって、それを見ていないことで、僕の見方が緊張感の欠けたものになっている、という可能性はあります。

 

しかし僕が見ている番組が、僕に影響した結果、以上のような感想が生まれました。