ユウスケさんがもうひとつ動画を出されていたので、そちらも見てみました。それは山本さんの、屋内のタウンミーティング(おしゃべり会)の様子からまとめられたもので、ユウスケさんは、山本さんの「メンタルの強さ」の秘密を問題として取り上げていらっしゃいました。

 

多分、何が原因かわかりませんが、「強い」ということは間違いないんでしょう。普通の人だったら彼の置かれた立場に耐えられない、というのが、多くの人が感じるところだろうと思うからです。ユウスケさんもそれを言っていました。

 

それに何か付け加えることがあるとしたら、とりあえず山本さんが明かしていた、気分転換の方法をいくつか持っていて、緊張を解き放つことが何とかできている、ということがあるようです。

 

あまりにも重圧や過密スケジュールがあって(?)、もう気が狂いそうと思った時は、一人になって誰も聞いてない状態で、もう気が狂いそうと独り言を言ってみたそうです、すると元々狂ってたじゃないかという思いが湧いてきて、じゃあ大丈夫かと思えたという話がありました。

 

何かに依存するのではなくて、自らの精神力で気を逸らすことができるというのは、相当な人じゃないかとと思います。これを方法論にまとめるなら、瞑想をする、ということになると思います。

 

動画には、何人かの質問が収められていて、強さのテーマ以外にも、複数のテーマが出てきていました。

 

その中で僕が気になったテーマが二つありました。

 

ひとつ目は、特定の精神疾患を持っている人(双極性障害ということで、不眠の症状があるという話でした)が登場して、同じような病気の人たちに対して、れいわ新選組がどのように救済措置を考えているか聞きたいと言われたことです。

 

山本さんの答えは記憶に残らなかったので再現できないんですが、僕が思いつくところでは、病気はとりあえず置いておいて、経済的に助けることができたら随分ましだろうということでした。

 

病気の治療そのものは医学の範疇だし、今の医学がまだ手を差し伸べられないのなら、将来的に医学が発展しなければならない、ということになるかと思います。しかし医学的には現時点でほとんど何もできない、ということでも、生活の方で保障があれば、病気と経済の両方に悩むことがなくなり、片方では(少しは)安心できることになるからです。

 

人間の体は、物質的身体と、霊的な働きをする領域と、その中間の精妙な超物質領域があると考えられます。そのうち物質科学によって解明されているのは、物質的身体の領域だけで、それ以外にわかっていることがあるとすれば、霊的な働きをする領域の最下層の、魂の領域(人間はこれを内面として経験している)だけだと思います。

 

それでまだ多くの部分が未解明なのだと思いますが、これを解明するのはそう簡単には行かないし、そんなに早くもできないと思うので、ある種の病気は、不治の病として放置されてしまうのだろうと思います。

 

それで医学的に支えることにはそんなに希望がないような気がするので、経済的に支えるとか、心理的に支えることを考えた方が、成果が出やすいんじゃないかと思います。

 

そしてもうひとつ気になったテーマは、学生さんで、原発問題の深刻さを感じている人が、学校でそのことを友達に話すと、左翼だと馬鹿にされて、まともに聞いてもらえないという話でした。

 

これに関して、山本さんは、この学生さんが、友達と分かり合うためにも、反原発運動が一般の無理解な人に浸透していくための一歩としても、少しずつ頑張って、理解してもらえるように頑張ってみてはどうか、みたいな話をされていたと思います。とりあえず、あなたの方がまともなんだから自信を持てばいいという話もあったと思います。

 

これに関して僕が思うことは、人と人はそんなに多くの部分で分かり合えたりしないという現実があるんじゃないかということです。

 

相手の話を聞く時に、真意を汲み取ろうと、真剣に耳を傾ける人はそんなに多くなくて、自分と共通の考えを相手の中に見た時にのみ共感することの方が多く、自分自身は何も変わらないということがほとんどじゃないでしょうか。

 

そうなると、聞きなれない話をされても、誰もピンと来ないし、自分の殻に閉じこもってしまうことになるでしょう。

 

それでも、話をすることで、ほんのちょっぴりだけ、新たに分かり合う部分ができる、ということが奇跡のように存在するんじゃないでしょうか。

 

なので、反原発運動について理解が広がるといったことは、ある意味で、高望みしすぎで、そこまでいったら本当にすごいけど、そんなに頻繁には起こらないことじゃないか、ということを思います。

 

なのでやっぱり、伝えたいこと、わかってほしいことがあっても、なかなかそうならない現実を知って、孤独を感じ、孤独に耐えるというプロセスが現れざるを得ないという感じがします。

 

それでも期待を持って、他者にアプローチする時、期待する量が少なければ少ないほど、感謝もできるし、成果もあがりやすくなるような気がします。

 

多くを望むと、こんなの伝わって当たり前なのに、なぜ伝わらないと腹が立ってきますが、ほとんど期待していなければ、ほんの少しでもわかってもらえたら、こんなにうれしいことはないと感じることができるかもしれません。

 

運動家と自認する人は、もうちょっと頑張る必要があるかもしれませんが、人間の相互理解は難しいのだと知っておいた方が、やりやすくなるんじゃないでしょうか。