ゆたぽんの発言を取り上げたコタツ記事を見ました。
ゆたぽんは、子供時代に冒険的な挑戦をした人ですが、結果としてはあまり極端な方向に向かわずに済んで、かなり常識的な人になっている感じがします。常識的といっても、固い発想ではないし、押し付ける感じもなくて、柔軟です。
取り上げられていたのは、校則についてのコメントで、髪染めやピアスは別にいいだろうという話でした。
煙草を吸ったり、その他法律違反はだめだけど、髪染めやピアスで誰かに迷惑がかかるわけじゃないんだから、というのが根拠でした。
僕は、この種の問題に対する橋本治さんの答えを思い出しましたが、橋下さんは、金髪に染めたりするとただ髪色が変わるだけじゃなくて、人格まで変わるということを言っていました。その責任が負える年代になってから、髪染めはしたら、というような話でした。
この選択をした先の人生を自分は責任を持って生きると決意できる年代というのは、何歳なんですかね。まだ自分というものがどういうものかよくわからないという年代では早いということだと思います。
自分がどういう感じの人間なのか理解するには、年齢というよりも、いろいろやってみて自分の実力を知ることをしなければわからないかもしれません。
活動の舞台があまり与えられなくて、ただ与えられた仕事をこなすだけだったら、一生、自分がどういう人間かよくわからないままかもしれません。
僕の考えを言うと、どっちでもいいかな、という感じです。
髪染めやピアスは、興味があっていろいろ試したい人がいるんでしょうけど、僕自身はほとんど興味がありません。面倒くさがりというのが一番大きな理由ですが、姿形のベースに難ありなので、着飾ったところでどうにもならない、ということもあります。
それで自分はそんなことはせず、他の人がしているのを見る形になりますが、その時、美貌の人はますます美貌の人になるのを見ることになって、差を感じるなあということになるかと思います。
みんな大体同じ格好で、同じことをしていると、あまりそんな違いを意識することがなくなって、勉強にも集中できるかもしれません。
しかし見た目の美しさがさまざまに強調されることや、自分に似合う装いを自ら見出せる力のようなものを感じて、落ち着かない気分いなるんじゃないかと思います。
ただし、中高生の時代にそのように差を感じる経験が先送りされるとしても、大学生や社会人になると、早晩経験することになるので、早いか遅いかの違いで、早くから慣れておいた方がいいとも言えます。
自分は遅れているな、取り残されているなと感じる経験を、早くするか遅くするか、どちらにもメリット・デメリットがありますが、早くから慣れておく方がいいかもしれません。
また本当は髪染めやピアスに興味があるけど、お金がなくてできないという人もいるかもしれませんね。そういう人も、お金による格差や序列があることに、早くから慣れておくことも、悪いことばかりだとは言えないかもしれません。
学生時代だったら、かばってくれたり慰めてくれたりする人もいるかもしれません。