奥田知志さんの抱樸(ほうぼく)の配信を少し見ました。それから何だかんだで、これまでホームページを見たことがなかったので、抱樸のホームページも見ました。

 

北九州では、行き詰ってきて困ったら、電話すると、すぐに何とかしてくれる状況が、もしかしたらできているのかもしれません。

 

それが奥田さんの目標だったわけですが、希望のまちができる前の今の段階でも、既に、役所に相談に行った人が門前払いで途方に暮れるといった場面が、相当解消されているのかもしれません。

 

実際どうかわかりませんが、他の地域よりは改善されているような感じがします。

 

その裏付けを作るために、奥田さんは年中、寄付金を集めて回らなければならないみたいですが。

 

それで今日聞いたお話の中で、最初の段階では、冷たい対応をする行政に対して、あるいは変わろうとしない行政に対して、文句を言ってどうにかして変わってもらおうとしていたという話がありました。

 

その後、意識の転換があって、人を頼るのではなくて、自分たちでやろう、ということになったそうです。そうすると事態が改善され、それより前に、事態が一向に動かなかった時期に、多くの人が亡くなってしまったことを思い、残念で申し訳ない気持ちになったというような話がありました。

 

行政に要望を出して対応してもらうことは別に悪いアイデアじゃないと思いますが、自分たちでもできるということなんですね。

 

その話を聞いていて、僕も、独立した共同体の形成に関するアイデアをいくつか聞いていたことkを思い出しました。

 

ひとつは、外国で孤児院のような施設を中心に商業施設などを入れて複合的な施設を作っている人の話で、これから世界はますます人間軽視の時代になっていき、食べるものを十分にもらえない人が出てくる、だから事態が悪化する前に自前で作物を育て困った人を受け入れられるような環境を作っておいた方がいい、というアドバイスでした。

 

僕もちょっとその線で考えたことがあったんですが、少しやってすぐに行き詰りました。自分が思っていたよりも怠けものすぎて、農民の毎日の労働をこなせるような人間じゃなかった、というのが一番だと思いますが、もうひとつ思うのは、どんなやり方でも作物を作ってみるということができたらよかったかなと思います。

 

今までのやり方は問題があるという問題提起が既に出ているので、今までのやり方を改めた新しいやり方でやりたいという気持ちがありましたが、農薬を使い、自家採取でない種を使ってでも、ひとまず作物を作ることが大事だったかなと思います。農薬を一杯使うというのは心配かもしれないので、量を減らすくらいはしても。

 

隣り合った畑では、農薬を使わない人が一人いると、失敗して虫や病気を発生させた時に、周りの迷惑にもなるので、実験的なことは、それに適した土地でやった方がいいのだろうと思います。

 

時代を遡ると、戦前の段階では、人糞を肥料に使っていたし、害虫や病気の発生が問題だったと思われます。傷んだり腐ったりした作物を食べて、体調を崩すということもあったかもしれません。

 

戦後になると、農薬や化学肥料を使うようになって、以前の虫、病気、病原菌、匂いなどに悩まされた暮らしが改善されたように感じ、化学農法信仰が始まったと思われます。

 

その後は、薬品による害が意識されるようになったので、世代によって、化学薬品を素晴らしいと感じるか、化学薬品を使わないことが素晴らしいと感じるかの違いが出ているのだと思います。

 

で、結局、僕に関して言えば、人に分け与えるどころか、自分のための食糧も作れない状況で、ここ10年を過ごしてきてしまいました。ちゃんとした実践ができる人なら、10年あれば相当進歩したでしょうね。

 

そして、一般的には、独立した共同体の運営は、あまり持続可能なものではなく、社会的なインパクトも限定的という評価が、定評となっているようです。

 

社会主義運動の中で、独立した共同体をつくるアイデアが出てきて、実践がなされました。

 

パリ・コミューンは、少数民族の独立と同じで、中央政府から領地の不法な割譲のように受け止められて、鎮圧されたようです。

 

ロバート・オウエンの実践では、理想の工場を作るプロジェクトはそこそこうまくいったものの、もう少し大規模な理想の共同体を作るプロジェクトはうまくいかずに瓦解したみたいです。

 

武者小路実篤の新しき村は、存続はしているものの、広がりを欠いていて、中で暮らしている人の幸福度はともかく、他の人たちが真似をしようというふうには思われていないようです。

 

どういう観点から評価されているかというと、既存の体制の転覆をはかって新政権を立てるタイプの革命をひとつの理想とする人たちが、別案として、既存の国家の外にもうひとつの共同体を作るというアイデアを持っていて、既存の国家から潰されないような、強さを急速に身に着けることができるか、と発想しているからだと思います。

 

いちから独立国家を作り、諸外国の抑圧に打ち克って自立する、という、ある程度、高い目標が掲げられているために、ただの生活共同体ができたくらいでは満足されない、ということに思えます。

 

革命家や社会活動家でなければ、既存の国家と縁切れする必要は必ずしもなくて、内部で、既存の国家と協力しながら存立する、明確に分離していない共同体でもいいわけです。

 

それによって人間が少しでも暮らしやすくなり、安全を感じることができればいいわけです。

 

ひたすら人を搾取する原理を押しとどめて、人に優しく人を生かす原理もあることを、実例を出して証明するということでもいいだろうと思います。

 

最近読んだ、「人間生活の運命を形成するカルマ」の訳者による解説では、ルドルフ・シュタイナーの悲観的なドイツの未来像が紹介されています。

 

最悪の場合、ドイツの文明は完全に破壊され、もし精神文化を滅びから救いたければ、修道院のように小さな拠点を作り、その中で文化的なことが細々と継承されるように考えるしかない、ということでした。

 

それは戦争や外国からの経済的攻撃によってそうなるのかもしれないし、文化に対する同国人の理解がなくなって、経済偏重の社会、弱肉強食の社会ができるせいかもしれません。

 

これは悲観的なイメージで、大きく言えばドイツは文明として滅んでいるのですが、かろうじて人里離れたところで世捨て人のような人が、いわばドイツ国家と関わりなく、ドイツ文化をやっとのことで保存している、ということだと思います。

 

今の日本では、大学が日米合同軍の下請け研究施設のようになってきているみたいですが、その前から既に、社会を支える自由な国民を育成する発想がほぼ失われ、その役割は点在するほんの一握りの人によってしか担われていなかったのかもしれません。

 

それで日本でも、最も悲観的な社会像がありえるかもしれません。自由で近代的な人間精神は、世捨て人のような人によって、各地の限られた小さな拠点においてのみ保持されいてる、という。

 

まだ今のところそうなっていないかもしれませんが、だんだんとそういう方向に傾斜していっているのかもしれません。

 

人が生きられる環境を作れと言って運動をしている人は、さしあたり、貧困化した人に食べ物や住むところを与えてくれと言っているのだと思いますが、それは同時に、文化的な生活がこの国からなくならないようにするための、生活環境を整える意味も持ちます。

 

文化の価値がどの程度理解されているかにもよりますが、ある程度余裕を持って生きられる環境があれば、文化の重要性の理解を持った人が、その場を生かして文化の維持・発展に努めてくれるわけです。

 

ただし一般的には、ほぼ、文化とは娯楽とイコールだと考えられており、文化とは人間を高貴な存在へと導くための知恵であるとは考えられていないので、本当の文化が保持されるのは一部でしかないかもしれないですが。