今の日本の政治状況を作った、エポック・メイキングな出来事を挙げていくことが重要かもしれません。

 

ひとつは、大学紛争の結末と、その後の事態収拾の仕方が、大きな影響を与えたということになります。

 

僕が見た範囲では、このことを白井聡さんが指摘していました。

 

大学で政治運動が盛り上がり、大学教授が吊るしあげられて、大変な思いをした、ということが、大学側、大学の事務局側の経験だった、ということなんでしょう。

 

学生側の経験はまた別のことだっただろうと思いますし、それは別途検証されています。

 

大学側の経験は、単に、大学内が騒乱状態になって、収取がつかなかったので、これからは二度とそういうことがないように、活動家や反政府勢力になった学生は追放し、同じような人が出ないように政治活動に制限をかけた、ということなんだと思います。

 

そのやり方があまりに徹底していたため、今では大学は学生を精神的に奴隷化する場になってしまっているそうです。

 

最近、管理が強化されるようになった、というより、学生と政治を遠ざける決定が最初の段階で成功し、その無菌化されたような空間が長く維持されてきたために、今では学生は政治が自分と関係するうものとは想像できなくなっている、ということかもしれません。

 

つまりもう禁止なんてする必要はなくて、民主主義国なのに、国民が自分と国政が無関係だと考えるようになってしまった、高学歴の人間においても、ということだと思います。

 

学生運動をやっていた人たちは、良かれと思って、強硬な相手に会えばすぐに引くような穏やかな運動ではなくて、暴力的な運動にしたのだと思いますが、その後の流れを見ると、大いなる反動を生み出して、社会の非・政治化を招いてしまった、というふうにも見えてきます。

 

その責任は、大学側にもあって、もうちょっと学生の自由や、学問の自由を尊重していれば、ここまでひどくはならなかったかもしれません。

 

当時、矢面に立った大学教師の中には、できるだけ警察権力に頼らないで、話し合いで事態を収拾しようとし、学生のことも最後までかばった人がいたようですが、事務局で働いている人は、教育者の自覚もないでしょうから、そういう人を中心に管理強化が進められたのかもしれません。

 

 

他のことでは、自民党の中で、権力を握っておかなければ、自分たちに意味はないと考えた人が、どんな汚い手段を使ってでも、別の党が作った政権の転覆をはかり、二度と政権交代が起こらないようにしようと決意したことが、重要だと思います。

 

細川政権が潰れた後で、自社さ政権ができた時に、自民党の返り咲きが起きていますが、ここでもなりふり構わない姿勢が見えます。

 

しかしそれは戦術的に使われた手段で、二度と政権交代が起きないようにと、一党独裁体制を固めるような、システム的な措置ではなかった気がします。

 

自民党内で、ライバルと争っていた、泥仕合の方法論が、他党に対しても使われたにすぎないという感じがします。

 

その後、民主党が政権をとり、自民党が下野した時に、自民党内には、反省をし、我々が国民から信用を失った原因を特定して、もう一度国民から信頼される政党になろうという考えを掲げたグループがあったそうです。それと並んで、権力を握っていてこそ、我々の存在価値がある、そうでなければ存在価値はない、として、あらゆる手段を使って、民主党を引きずりおろすという方向性を示したグループがあり、権力闘争の結果、反省なんてせずに汚い手を使ってでも倒閣を目指す勢力が勝ったみたいです。

 

こういうことが起きた原因をたどると、小沢一郎さんたちが、政権交代が必要だと説いて、メディアや国民に呼びかけたり、選挙制度を変更したりして、自民党の立場を脅かしたということが見つかります。

 

日本や地域の支配権は自分たちになければならない、と考える自民党を、力で脅かすと、反動が起きること、却って権力にしがみついて放さなくなることは、予想がつくような気もします。

 

しかし一般国民は、自民党と利害を同じくしていないし、きっと良識を働かせてくれる、と期待したところがあり、その期待に国民が応えられなかったので、今の状況になっている、のかもしれません。

 

そして国民の不明と、自民党議員の不明とは、地続きのものかもしれず、不見識な自民党議員を追放しようとしても、一般国民の相当数と地続きになっていて、そんなに大量の人を追放できない、ということなんだと思います。

 

もしかしたら、別のやり方の方が良かったのかもしれません。

 

自民党の中にも、良識はあったのだと思いますが、それは頂点にいる一部の人に限られており、その最も良質な精神を、派閥の仕組みの中で、後輩に譲り渡していく作業がなされなければならなかったのかもしれません。

 

それができないと、政党全体が目先の利益や党派的な利益を追い求めるだけの集団になってしまうんだろうと思います。

 

当時の人は、今のまま行くと、僕たちがいる現在の状況のような、ひどいことになると、イメージできていなかったんでしょう。ここまでひどくなるとは予想できなかったので、自分たちが自分たちの利益のために多少ずるいことをしても大丈夫だろうと、軽く考えていたんじゃないでしょうか。

 

ちゃんとした人間をリーダーに起用しないと、後々大変なことになるとは、考えられずに、自分たちに近い人がリーダーになったら誇らしいしいいよね、という素朴な発想で、役不足の人を指導的な立場につけてしまった、ということがたくさん起きてしまったのではないかと思います。

 

ダメな人がどんどん要職を埋めていく状況になると、もはや取り返しがつかないので、そうなる前に、有望な人を起用し、その人に適切な場所を与えていくことを、出来る限り頑張ってやらなければならなかったんでしょう。

 

 

昔、「俺たちひょうきん族」というテレビ番組がありました。

 

おぼろげな記憶ですが、この番組は、日本の番組制作者が、アメリカのテレビ番組を見て、その真似をして作ったという話を聞いた気がします。

 

なので、国民に何かを訴えたかったわけじゃなくて、面白そうだから真似してやってみようという程度だったのかもしれません。

 

しかしタイトルからは、ひょうきんな人の方が、これからは価値がある、といった、価値観の転換を目指すような意図が感じられます。

 

それまでは、娘の結婚相手に選ぶべき相手という意味でも、堅実な人、有能な人、学歴がある人、真面目な人が尊ばれていたんじゃないでしょうか。

 

でも、軽薄で、口が達者で、人を楽しませ、周りの気分を上げられる人が、これからは価値を持つのだという主張が、ここで打ち出されたという感じもするわけです。

 

それまでの真面目さが尊ばれていた時代は、堅物も多くて、話し合いが成り立たなかった、ということはあったかもしれません。あるいは、自分の信念は貫くものの、人の話は聞かないで、親切を押し付ける人が多くいたかもしれません。

 

それで、一歩前進するために、どこかを揺さぶる必要はあったのかもしれませんが、真面目さの代わりに、軽薄さが礼賛される状況を作ったことには、やはり深刻な副作用があった、と言わなければならないかもしれません。

 

 

他にもいろいろな事象が、エポック・メイキングな出来事として挙げられるかもしれません。

 

今後も、そういうことは起きていくでしょうけど、渦中にいる人は、ぶつかり合い、覇を競う複数の潮流を見て、どの潮流に味方すべきか考え、行動することが求められているのかもしれません。

 

間違った潮流を勝たせてしまうと、その後、長く変えることができない、深刻な悪影響を引き受けなければならなくなる、ということかもしれません。

 

郵政民営化とかでも、反対している人がいたんですが、反対派を勝たせることができず、むしろ賛成する方に多くの人が味方してしまいました。

 

小泉さんの改革は、郵政民営化とまとめるのではなくて、新自由主義的な転換というふうにまとめるべきかもしれません。

 

ただし、日本では、新しいテクノロジーを事業化する意欲があまり出てこなくて、形だけ事業をでっちあげて、中抜きして儲けるといった、利権政治の方が主流の流れになっていて、新自由主義というより、縁故資本主義的いなっています。有力者に気に入られ、賄賂を送ることで、儲け話に噛ませてもらうといった内容です。