れいわ新選組が、都知事選に対して、「静観」するとの決定を出したのは、どういうことか。

 

これはそこそこの難問かもしれません。それほどわかりやすくはない気がします。

 

というのは、素人考えですが、形式的な推薦状を出すのはそんなに難しいことじゃない気がするからです。

 

それを出せば、実際にスタッフが動いたり、国会議員が応援演説に駆けつけたりしなくても、れいわの支持者に誰に投票すればいいか示唆が行われたことになるだろうからです。

 

推薦状を出して誰も行かないのは礼儀に外れる行為なのだったら、手がすいている人が一人行くようにしたらいいんじゃないかと思えます。

 

「静観」とはどういうことか。これを理解するのに、一番素直な考えは、れいわ新選組の中心メンバーが、どのように発想していたか、を追いかけることだと思います。

 

彼らは、現状がひどい政治状況だということをわかった上で、世直しをしようとしていて、社会の破壊のスピードが速すぎるため、できるだけ急ぐ必要があるとも考えています。

 

それで今使える党のリソースや、それぞれの機会は、どれでも120%有効利用しようと考えています。

 

都知事選もそのように考えていて、都知事選に参加し、国民のための政治に変えるために、自分たちが行動することで、具体的に何かの成果を勝ち取ろうとしているのだと思います。

 

都知事選で何が勝ち取れるのか、どうすれば成果が挙がるのか、そう考えた時に、まず独自候補の擁立を考えたようです。しかしそれは最終段階の一歩手前ぐらいで断念することになりました。

 

何が悪かったかというより、選挙に出て当選できる見込みが立たなかった、つまりリソースを投じても何も勝ち取れないと思われた、ということだと思います。

 

次には、他の候補者のうち、誰かの応援ができないかという検討に入ります。

 

ここでは各候補者の政策を調べて検討しています。その時に、山本さんは、薄味だな、という印象を受けたようです。

 

れいわでは、自分たちは世直しをしたいこと、そして具体的にこうしたい、ということを提出しています。それと同レベルか、もっと進んだ考えを提出している人がいたら、喜んで応援できるということでしょう。

 

自分たちが関わっていなくても、その人が代わって同じ方向で物事を進めてくれると考えられるからです。

 

しかし実際には、「薄味」でした。もうちょっと真剣に考えて欲しい、古い常識から抜け出してほしい、というようなことを考えたのかもしれません。

 

それでも、小池さんより蓮舫さんの方がマシじゃないかという考えがあり、山本さんもそれには同意していました。

 

ここで、形だけ蓮舫さん支持の声明を出す、それは小池さんよりは他の候補者の方がいいから、という考えになぜならないのか、そこはよくわかりません。

 

しかし、都知事選で、国民のために何が勝ち取れるのか、と順番に検討していった結果、応援するのも、気乗りしないなあ、という流れになった、と考えると、何が起きたのかを一応、捉えることができたような気もします。

 

ところがこれが間違っているかもしれないと思える部分もあって、それは山本さんが舞台裏であったことの全部を言っているわけじゃなくて、誰が候補者だったのかも含めて、言えないこと、言っていないことがある、ということです。

 

言われたことをたどっていくと、順番に検討して、応援も見送ろうという流れになった、ということになろうかと思います。

 

そして、持てるリソースを最大限に有効活用して、国民のための政治を一歩でも前に進めるという基本の方針から、今回だけ外れて、最悪の状況を避けるために、それよりはましだけれども、だいたい同じ人に交替させるアイデアで良しとする、という妥協ができなかった、ということかもしれません。

 

その場合でも、最悪のものと、最悪から二番目のものを交換するということにも、意味がある、と考えることができなかった理由は何なのかはよくわかりません。

 

国政の方で妥協して、野党共闘に乗っかり、立憲民主党を中心とする政権を作って、例えば、第二次野田内閣を実現するというアイデアに乗るとして、それは確かに自民党政権よりかはマシかもしれませんが、たいして変わらないとも言えます。

 

野党共闘では、れいわは選挙協力で実際問題、候補者を一方的に降ろすことになるので、立憲民主党だけが伸びて、れいわは伸び悩むことになるようです。

 

そんな中で、野田内閣ができて、それは前進と言えるのか、かなり微妙かもしれません。

 

蓮舫都知事の誕生は、それに近いとイメージされるんでしょうか。

 

あるいは、推薦の声明は、ただ推薦するだけで、具体的に応援はしませんよ、それで良ければ、という話で、双方が了解できれば、実現できるのかもしれません。

 

しかし立憲民主の人は、そんな条件のために頭を下げるほど、腰が低い人たちではないのかもしれません。組織の格を気にする人が多くて、弱小政党と対等に話をする気がないというような話を聞いたことがあります。

 

山本さんの話では、れいわの支持者は自由人なので、指示を出さなければ、各自で勝手に判断して、自分が良いと思う方向で動いてくれるはず、ということでした。

 

支持者から、蓮舫さんを応援する人が出て、選挙運動に参加する人がいても、それは尊重するということなんでしょう。

 

逆に、明確な方針を示した方が、異論が噴出して、党内が揉める感じになるというような話もありました。