国会の会期終了に合わせて行われた、れいわ新選組の記者会見の様子を配信で拝見しました。

 

都知事選に対する、党としての態度は、「静観」ということになっています。支持者には、自由に考えて行動してくださいという底意があるようでした。蓮舫さんを応援したい人がいたら、勝手にやるし、違うことを考える人がいたら、その人たちも勝手にやるということみたいです。

 

なぜそんな結論に至ったのかを記者が聞いていました。

 

一番の押さえておくべきポイントは、れいわの独自候補を出そうと、検討していた、ということです。人選が終わって、ポスターの印刷を決定する前に、どうしようかと考えて、残念だけどやめておこう、ということになったみたいです。

 

僕の推測では、やはり出ても勝てる見込みが少ないことが一番の理由じゃないかと思います。そして、その次の理由は、蓮舫さんが勝つ見込みがあるので、その邪魔をしない方がいいかもしれない、と考えたんじゃないでしょうか。

 

れいわで考えていたことは、国政でも地方行政でも、ここ数十年の経済不況から脱却するために、何か有効な手が打てないか、ということで、都知事選でもその観点から検討を行ったようです。

 

そして独自候補を立て、政策を練り、当選できたら、このような手順で施策を打っていくという計画ができた段階で、立候補を決めようとしたようです。

 

前回、山本さんが立候補した時も、当選してからこの手順でやるという計画(政策)ができたので、立候補したということです。前回は、事前調査で、小池さん以外の人全員の当選確率がかなり低かったので、出ても他の人の邪魔はしないだろうという考えもあったようです。

 

独自候補の擁立を見送った後では、他の候補者を応援するプランが出たようですが、政策に目を通して見て、自分たちが考えているような経済政策に近いものが、ほとんど見られなかったので、応援したい気持ちはあっても、気持ち的にそうできないものを感じた、ということみたいです。

 

生活苦に対する手当てよりも、財政再建を優先する考えには、気持ち的には乗れないんでしょう。小池さんよりましな人に交替するということの意義は、山本さんも感じているようでしたが、れいわが党として公式に応援するメッセージを出すということまでは考えなかったようです。推薦の声明だけで実際には何もしないということでもいいような気がしますが、評価できないことには少しも協力したくないという、少し潔癖症的な性質が出ているように、僕は感じました。

 

同じ性質が、与党に対して、妥協せずに食い下がっていく姿勢につながっているのだとしたら、都合がいいところだけ取るわけにはいかないのかもしれません。

 

もしかしたら、党利党略の争いに少しでも近づくと、余計な仕事で忙殺されて、貴重なリソースを奪われるということがあるのかもしれません。

 

もめごとに巻き込まれるとか、勝手にれいわの立場を利用されるとか。

 

共産党では、以前と同じように、市民連合を中心とした野党共闘を発展させる路線に立っているようで、意向を確認せずに、勝手にれいわの名前を使って、れいわも仲間だみたいな言い方をしているそうです。

 

おそらく国民民主も勝手に仲間に入れているんだと思いますが、それは良く受け止めれば、短気を起こさず、難しい交渉相手とも回路を閉ざさずに交渉を継続する姿勢だと感じられますが、悪く受け止めるなら、自分たちの連合にプラスになると考え、協力していないグループでも、協力しているかのように言ってしまうということで、ちょっと勇み足というかちょっとした誇大広告に見えるかもしれません。

 

立憲の場合は、選挙が近くなると、自分たちに有利になるように、れいわにしてほしいことを打診してくるけど、選挙が終わると、交渉の窓口を閉じてしまって、れいわの邪魔をしてくる、という感じみたいですね。そんな相手と交渉しても時間の無駄、彼らの都合よく使われるだけ、というイメージなんでしょう。

 

過去にされたことの恨みがあるというよりも、これからも立憲の自己都合に振り回されて、れいわ新選組も国民も何も得ることができない可能性が高い、という判断なのかもしれません。

 

独自候補も応援も見送って、どうするのかというと、どうやら解散総選挙の準備を進めていくということみたいですね。