佐藤章さんの配信で、朝堂院大覚さんをゲストに迎えていらっしゃいました。

 

朝堂院さんは、リベラル派の人のように、小池百合子さんを批判しているわけではなくて、知っていることがあり、乞われたので話しているという感じのスタンスでした。

 

今回出ていた話では、百合子さんのお父さんと朝堂院さんが話した時に、百合子さんが今後、仕事を見つけていくに当たって、学歴が必要かもしれないという話になって、カイロ大学は卒業してないけれども卒業と言っておいたらいいかもしれないという結論になったそうです。

 

お父さんから百合子さんにどのように話がされたのかわかりませんが、学歴詐称は、百合子さんの詐欺師的本性から出たものではなくて、大学を中退した人が、どうやって仕事を見つけるかという問題だったのかもしれません。

 

同じような立場の人が、学歴を詐称することは、もっと幅広く存在するかもしれません。会社に入るところで撥ねられたら、先に進みませんので、嘘をついてでも中に入って、あとは実力を示していくという形で、学歴の壁を突破した人はそれなりにいるかもしれません。

 

朝堂院さんは、百合子さんが、テレビ・キャスターで止まっていれば、特に誰にも迷惑をかけなかったかもしれない、という話をされていました。政治家になったため、公職選挙法の問題が出てくるし、また百合子さんが政治家にはあまり向いてなかったことから(見せ方ばかりを気にする)、実力もないのに不当に地位にとどまる人間とみなされることになりました。

 

細川さんが百合子さんを政治の道に誘ったのであれば、細川さんのせいに思えますが、お父さんも百合子さんの出世を願っていたようです。

 

というのは、お父さんはご自身で政治家になろうとして、会社で稼いだお金をつぎ込んで、借金までし、それにも関わ輪ず落選したために、経済的に行き詰ったという過去だったようです。

 

その時に、百合子さんは大学生で、学業が続けられなくなり、慣れないエジプトで暮らすことになり、アラビア語で授業を行っているカイロ大学に入る流れになったようです。

 

英語はできたみたいですが、アラビア語は習得できず、大学も卒業できなかった、という流れみたいです。

 

親の会社が倒産して、大学を中退した人というだけだったら、世の人の同情を集めるかもしれませんが、自力で克服して、逆に普通の人が到達できないような高みを目指したために、誰にも同情してもらえず、悪く言われるばかりというのは、皮肉な感じもします。

 

あるいは、自分のせいでなくて、人生がうまくいかなかったという場合でも、誰も同情してくれないのが今の世の中というもので、だからこそ自力で頑張らなければならない、ということかもしれないんですが。

 

朝堂院さんは、元事業家で現在は世界情勢の調査・解説をしているという、佐藤さんの紹介でしたが、古いタイプの事業家で、嘘をついて人を苦しめることはやるべきでないとか、道徳的な信念を持って生きてこられたようです。

 

そういう個人的な信念からも、小池さんに嘘を認め、謝罪して、いちからやり直すように求めているようです。

 

こうして見てくると、百合子さんより、お父さんの上昇志向が、悪い作用をした感じがします。

 

なぜそんなに社会的なステイタスが欲しかったのかというと、想像になりますが、明治初期に農民の身分にあり、虐げられていた人が、自らの才覚を武器に、武家が支配していた社会上層の職に食い込もうとしたことがあったと思いますが、それと同じ思いだったという感じがします。

 

虐げられることが多ければ多いほど、上昇志向は強くなるでしょう。

 

逆に言えば、明治からかなり離れているわけですが、新しい時代の到来に合わせて、考え方をアップデートできなかった人という感じもします。

 

そしてよくあるパターンですが、親が自分が成し遂げようとしてそうできなかった栄達を、子供に勝ち取ってもらいたいと願うことが起こったようです。

 

下の身分から見て、上の身分がうらやましいと感じる時、それは下層民の思い、下層民の理解であって、下剋上が良い状況をもたらさない原因はそこにあると思います。

 

人の上に立つには、人の上に立つ人間の覚悟なり教養なりが必要で、それは下の身分の人から見て、あまり理解できないことです。下から見ると、上の人は、いいものを食べて、いい服を着て、楽しそうというふうにしか見えないでしょう。それ以外では、偉そうにして威張っていることに気づくかもしれません。

 

しかし人の上に立つ人間の使命感、社会を管理・調整する人間の覚悟、そういうものが統治者になるには必要です。そういう精神に気づける人、見に着けられる人があまり多くないことから、身分の上下が設けられたと考えることもできるでしょう。

 

下層民の思いを持って、上層民の素養を知ることがなく、そのまま階層上昇が起こるとどうなるかというと、自分勝手で思いつきの統治が行われ、社会がバランスを欠いていく、ということになるでしょう。