「人間生活の運命を形成するカルマ」涼風書林 2024 (全集239巻)

 

 

ルドルフ・シュタイナーの本にほとんどハズレはないですが、この本も素晴らしかったです。

 

この本ではまず、世界や人に対して「敬虔」であることの必要性が感じられました。そして世界や人と向き合う時には、「繊細な感受性」を発揮するようにしなければならないことも理解できました。

 

世間では、「鈍感力」があると強いとか、戦いにおいては、何をするかわからない「野蛮さ」や、信じられないほどの「ふてぶてしさ」があると凡百の人たちを斥けることができる、と言われています。

 

競争すると、「敬虔さ」や「繊細な感受性」は負けるように思えます。しかしそれらが勝つのは、他の人たちとの戦いにおいてではなくて、自分自身を進歩させ、より進んだ立場で世の中に働きかけられるところでしょう。

 

対人戦においてはいつも劣勢かもしれませんが、隙間を縫って、活動の余地を見つけた時には、他の人にはできない働きができる、という形で役に立つのだろうと思います。

 

あとがきで、訳者の方が、カイザーリンク伯爵夫妻のエピソードを中心に、この講座が行われた舞台裏を再現してくださっています。

 

妻のヨハンナも、霊的な能力に恵まれ、自分たちとシュタイナー博士とをつなげる役割を果たしたという点で、功績があった人ですが、印象が強いのは、夫のカールの方で、無口で鉄の意志を持ち、善のかたまりのような人だったようです。

 

シュタイナー博士と出会う前から、カールは自分が任されていた工場で、労働者の生活に配慮した経営を心掛けていたために、ドイツの各地で労働争議が頻発していた時期にも、その工場だけは平穏を保っていたそうです。

 

カールが工場のオーナーである妻の父親ともめて、工場の仕事をクビになりそうになった時に、労働者がカールの味方をしてくれて、クビの決定が撤回されるということもありました。

 

労働者がカールに対して信頼と愛着を持っていた部分もあったでしょうけど、同時代にはありえないほど、カールが労働者が働きやすい職場環境を作っていたために、労働者はそれを失うことが恐ろしかったのだと思われます。激しいインフレの中で、他地域では、混乱しかなかったわけなので。

 

もめごとが起こっていた時期に、シュタイナー博士は、カールに対して、アドバイスをして、農場の側の家に住む権利を要求しなさいとか、工場の自由な経営権を要求しないさいと、強気の助言をしています。

 

自由な主体であることは、状況が動くままにさせて、それを眺めていることではなくて、状況がどの方向に収束していくかに対して、主体が決断して関与していくことだというのが、シュタイナー博士の理論的立場ですが、自身でそれを実践していたのだろうと思います。

 

状況に任せるなら、通りやすい結論を導くなら、もめごとが大きくなりそうな案件からは退いて、カールが要求しても罰は当たらないだろうと思われる、ささやかな要求を出すのがいいと考えられるかもしれません。

 

しかし後に、人々が穏やかな気持ちで包まれる環境で行われた農業講座が成功裏に実施されたことを思えば、その終着点に向かって、シュタイナー博士が最初の一石を投じていることが見て取れるかもしれません。

 

そしてシュタイナー博士が、その決断で間違いないと思えたのは、カールという鉄の意志を持ち、善の塊であるかのような人物を得ていたからだと、言えるような気がします。

 

他地域では、そこまでの人物ではない人たちを起用していたのかもしれず、そこでは失敗してしまったようです。なので、そこにいる人の中で最良の人を指導的人物として起用しているだけで、人物がいない時には断念するといった結論は導かないのかもしれません。

 

しかしやはり成功するプロジェクトのためには、やはりカルマ的によく準備された人を中核に起用することが必要なんじゃないかと思えました。

 

他の部分で、自活しておらず、社会的な活動も全くしていない、プー太郎もしくは高等遊民のような人物が、人智学運動に参加したいと打診してくるエピソードが紹介されています。

 

モーリッツ・バルチュという人も、人智学運動の展開のために重要な働きをした人みたいですが、この人は質実剛健の人らしく、くだんの半人前の人物を人智学運動に入れることに反対したそうです。

 

カール・カイザーリンクも、多分その意見に同意したのではないかと思います。彼も人には優しいですが、自分には厳しいので、仕事もしないでふらふらしている人のことをダメな人間だと思ったかもしれません。

 

しかしシュタイナー博士がその話を聞いてどう判断したかというと、ぜひ入れてあげなさい、ということを言ったようです。

 

これに関しては、カルマ論から言えば、彼が社会にうまく溶け込めていないのは、過去のカルマが悪かったせいかもしれないのに対して、今新しい起点を作るなら、それが将来のカルマの好転に役に立つ、ということが言えるんじゃないでしょうか。

 

シュタイナー博士は、過去のカルマを不問にして、未来のカルマの形成に対して助力しようとしたのではないかと思われます。

 

問題があるとすれば、協会内に入って破壊工作を試みるような、不安定な人格の人物、あるいは最初から悪意を持って入り込んでくる人物だと思いますが、それがわかっていても、入りたいと言ってくる人のことは、シュタイナー博士は、断らないかもしれません。

 

カールは、シュタイナー博士の決定を聞いてからは、それに従うことにし、自分の判断を曲げなかったバルチュと、意見対立することになりました。バルチュの主張は、自由な主体の決定は、自分に嘘をついてまで、歪めるべきでないというものでした。

 

勉強を始めるには、意欲があるだけでいいような気がしますが、社会運動で成果を出すには、何の準備もできていなければ難しいかもしれません。バルチュの意見は、社会経験が決定的に不足している人を、何かの事業の中心的メンバーとして起用する時には、正当かもしれません。

 

その他、シュタイナーがカルマ論と農業講座を平行して進めていた時期に、他にどれくらいの仕事をやっていたかの説明がありましたが、人間わざとは思えない量をこなしています。

 

まず、これだけの内容のことを事前に調査して、人に提供できる形にまとめていることが驚きなんですが、その上、手紙を書いて連絡をするなどの雑用的なことや、各分野の専門家のために助言するなどの仕事など、あらゆることを詰め込んでやっています。

 

これは衰弱しても仕方ないわ、と思いますが、カイザーリンク伯爵夫妻のコールヴィッツの農場には、穏やかで健康的な気が流れていたらしくて、シュタイナー博士はそこで見た目にわかるほど、元気を取り戻したそうです。その間も忙しく働いていたので、その負荷があってもなお、健康を取り戻せる力が、よく整えられた環境からは作用できるということなんでしょう。