このゲームは、軌跡シリーズとイースを足したように思えます。武器に対して、強化するための宝石をはめ込めるようになっているところは軌跡シリーズ的で、コマンド・バトルではなくてアクション・バトルになっているところはイース的です。

 

会話は、軌跡シリーズもイースも、セリフ回しの癖は同じかもしれないですが、東京ザナドゥは軌跡シリーズ寄りという感じがしました。

 

お互い褒め合ったり、敬意を示し合ったりする場面が多くなっています。主要な登場人物はみんな優秀な人ばかりなので、自然とお互いの力量を認め合うことになるのかもしれませんが、いちいち言葉にすると、くどい感じや嫌味な感じになってきます。見ているこちらは、優秀でも何でもなく、むしろ欠陥が多く、肝心なところで頑張れない人間だからです。

 

あるいは、人とは本来こうあるべきだというイメージを強く抱いている人が出てきて、その人が誰かを注意したとします。注意された方では、すぐには認められなくても、最終的には納得して、あなたの言う通りです、と認めます。そうすると周りの人たちも、その裁きの付け方で問題ないという賛同の意を示し、みんなでめでたしめでたしな雰囲気を作っていきます。でも見ている方では、途中から、付いて行けないものを感じて、劇中人物たちが気持ちを合わせて行く中で、見ている人間だけが冷めていくといった経緯をたどります。

 

もし見ている人が向こうの世界に何か言えるのであれば、簡単にまとめようとすんなよ、と言いたいところかもしれません。

 

「雨降って地固まる」のプロセスをたどるとしても、劇中では小さな円を描いて簡単にまとめようとするのに対して、実際の世界ではもっと紆余曲折があるんじゃないかと思うのです。

 

長い間、熾烈な親子喧嘩をやって、大人になってから仲良くなる親子という関係性があると思います。小さな円でまとめる時には、例えば、このプロセスを一週間ほどで終わらせることになるでしょう。そのプロセスを実際に実行しようとすると、普通の劇ではなくて、シュールなコントになってしまうんじゃないでしょうか。与えられた役を演じてはいるけれども、心では全然納得できていない、という感じになり、最後にちゃぶ台返しをしたくなるんじゃないかと思います。

 

東京ザナドゥに関しては、最初に、強く惹かれる要素がありました。それは主要人物の一人であるヒイラギ・アスカが高校生なのに、秘密組織のエージェントでもあるという設定です。

 

この秘密組織は、一般の人には知られておらず、秘密裡に行動していますが、反社会的な勢力というわけではなくて、異世界の脅威に対抗し、社会の秩序を守るために活動している組織のようです。詳しい説明があったかもしれないですが、最初の方のストーリーを忘れてしまったので、詳細はわかりません。政府が非公開の諜報機関として秘密裡に作ったのかもしれないし、葛の葉ライドウのヤタガラスのように、古代から続く国家のために働く一族なのかもしれません。

 

それでアスカは、学校生活以外に、もう既に仕事を始めているようなものなので、学校の部活動などに関わらなかったり、授業中や休み時間にも、黙って物思いにふける場面があります。放課後に仕事をするため部活動はできないのだろうし、ひととおりの社交をこなす間に、ふと仕事のことを考えてしまう時間があるんでしょう。

 

そういう事情はクラスメイトにはわからないので、アスカはミステリアスに見えます。

 

バイト三昧のコウは、アスカが放課後に、人気のない道を行くのを見て、不審に思い後を付いて行きます。それは異世界絡みの問題を解決しに行くところでした。

 

学生なのに、足場が学校以外のところにある人は、子供の頃から芸能やスポーツをやる人がいるので、実際にいる人たちです。学校と家との往復をして暮らしているだけの人から見ると、そういう人は自分の知らない世界の住人で、ミステリアスに見えます。

 

最終的には、コウやその他の学生が、アスカの協力者になっていくんだと思われますが、学生が秘密結社の仕事を始めるというところに無理があるので、どうやってそこにつなげていくのかが、なかなかの難問になるかもしれません。

 

最初に二人が仲間になる展開を見ましたが、70点くらいの感じでした。そんなにおかしいとは思わなかったけど、いろいろ無類があるなと思いました。

 

誰が誰に恋心を持っているのかという問題も、あいまいに処理している感じがしました。この人はこの人に恋心を持っているけど、まだそんなに自覚できていない、とか、そういうことを決めておかないと、どっちつかずな感じになってしまうんじゃないでしょうか。

 

それか、恋心の比率よりも、弱い自分を鍛え直したいとか、そういう別の感情の方が強いとか、そういう決定が、はっきりしていなくて、ぼんやりした感じになっていだと思います。

 

そして、同級生が、学校以外の場所に軸足を置いていて、もうひとつの世界のことを、自分は全く知らない、という時に感じる、ミステリアスな雰囲気というものは、実際に、向こう側で何をしているかを知ってしまうと、それはひとつの仕事であるにすぎないし、喜びもあるけど苦労もあるし、学業との両立が大変だという、現実的世界であるにすぎません。

 

アスカの場合もおそらくそんな感じで、放課後に何をやっているのかわからない間は、神秘的に見えるものの、実際にどんな仕事をしているかがわかると、二つの活動を同時にして忙しくしている、働き者の人間がいる、というだけの印象に変わるのかもしれません。

 

学校では、大勢の中の一人であるのに対して、仕事場では、少なくともひとつの仕事をこなせる人間として認められているからこそ、そこにいられるわけで、(容易には)替えが利かない人間としてそこにいる、ということになるかもしれません。

 

学生の身分しか持っていない人は、大勢の中の一人としてあるだけなので、社会的役割や社会的評価を持っている人がまぶしく見えるかもしれません。そういうことはあるかもしれません。

 

しかしそれは、誰にでも保障されるべき権利ではないような気がします。何かの役割が割り振られることは、基本的に、役割中心、仕事中心で考えられるべきもので、そこに入って行って役割を果たせる時にのみ、自分がそこに定着すればいい、というものだと思います。

 

「どこに行っても務まらない」人もいるかもしれません。そういう人は、仕方がないので、特に何もしない、ということでもいいかもしれません。原理的には。

 

実際には仕事をしていないと、支え合いの構造の中に入れてもらえないので、それでも生きていけるようにしてもらえるなら他の取り分の取り分を分けてもらうことになるし、全く分け前をもらえないか、少ししかもらえない時には、ひもじい思いをすることになります。

 

しかし本当に実効的な助け合いの関係においては、仕事をしている振りをしても何の意味もないのであって、実際に役立とうとするべきだし、どうしてもそれができない場合は、無理してそこに居座ろうとしない方がいいかもしれません。

 

それは仕事もできないのに労働現場に居座る人だけでなく、家柄や学歴を盾に職場に入り込んで偉そうにするだけで、役に立っていなかったり、邪魔になっていたりする人も含みます。

 

前者の方も、追い出そうとする人たちがいますし、後者の方も、解任を求めて声をあげる人たちがいます。

 

健康で、有能で、頑張れば、だいたいどこでも務まる人には、頑張れと言ったらいいだけかもしれませんが、いろいろ欠けたところや不足したところがあって、それほど役に立てない人もいるので、そういう人に一人前の仕事を求めると、いろいろ無理が出てきます。

 

理想的には、輪廻転生を経て長い修行の途上にある人間なのだという理解から、自分自身を少しずつでも進歩させ、今でも何かの小さな役割が果たせるように挑戦し、遠い将来にはもっと役に立てるように考えて行動できたら、一番いいだろうと思います。

 

そういう観点に立った時には、自分自身を高め、欠点を直すことに取り組むので、他の人がどんなに重要な働きをし、どんな栄誉を受けているのか、そんなことは基本的には関係なくなります。まぶしく見て、自分もそうだったらなと思うことはあるかもしれませんが、その感慨と、自分自身の現状とを結びつけることはできないので、自分は自分で地道にやっていくしかないなと考えることになります。そして自分の持ち味というのは、いかに不完全な状態であっても、独特なものがあって、他の人にはないものを持っているだろうと思うので、他の人の真似をする暇があったら、個性を発展させていくことを考える方がいいのだろうと思います。

 

そう考えると、学校終わりに仕事場に行く人がいても、その人は十分に力を育成していて、若い頃から社会に貢献できる段階にあり、そうでない人間には、長い学びの道が開かれているのだ、と納得すればいいのではないかと思われます。