原口一博さんの配信で、反日カルトと裏金反社が問題だ、ということが言われていました。このまとめ方は、わかりやすいし、的を射ている感じがします。

 

反日カルトは、統一教会のことを指すような気がしますが、そこに日本会議も入れてもいいのかもしれません。統一教会は、韓国の民族主義と結びついているので、帝国主義的な支配をしていた日本に対して恨みや報復の感情を持っていても不思議ではありませんが(反日)、日本会議は自分たちでは愛国者だと主張しているかもしれません。しかし実際には、アメリカのネオコンは軍産複合体の勢力の意図する方向で動いているので、それがたまたま一致しているだけであっても、国家の利益に反する行動をとっているように見えます。

 

多分、組織に属している人たちの多くは、妄信する状態にあり、組織や代表者や教義に従っていて、自分でやるべきことを決めていないのだと思います。その点が、カルトと評されている点になります。個人が独立して考え、他の人たちと共通する部分で共闘するタイプの組織だったら、カルトとは言えなくて、市民運動や国民運動と呼ばれるんじゃないでしょうか。その場合、組織が間違った方向に向かったら、反対したり離反する人が大勢出てくると思います。カルトは、信仰心が中心的になっているため、組織が間違った方向に向かっても、以前と同じ求心力や活動力を保ちます。自己訂正力が働かないと言ってもいいかもしれません。

 

裏金については、政党交付金を導入したため、企業献金は廃止する取り決めだったのに、それに反して、両方をもらい続けている人たちがいた、ということが問題のひとつの側面で、もうひとつの側面は、選挙買収に限りなく近いお金の使い方を今でもやっている人がいた、それも大勢いた、ということだと思います。

 

やっている人たちの感覚では、みんながやっていたので、これは普通だと思っていたということもあったでしょうし、選挙買収のつもりはなくて、人にお願いする時には手ぶらでは行けないというだけで、礼儀のつもりだったということかもしれません。

 

自民党にいて、企業献金や利益誘導や政官財の癒着を排除しようとするなら、過去の常識に凝り固まった人と戦わなければならないのかもしれません。平和主義的で事を荒立てない人は、多かれ少なかれ過去の流れに巻き込まれてしまうのだろうと思います。

 

おそらく最初が肝心で、過去のしがらみを排除してでも、当選できる力を、最初から自分が持っていないのであれば、政治家を諦めるという覚悟でやった方がいいんじゃないかと思われます。

 

とはいえ実際は、古いしがらみをおかしいと思ったり、ここには関わりたくないと思いつつ、どうしても巻き込まれてしまったという人よりも、そもそもそれが悪いことだと気が付かない人の方が多かったのではないかと思われます。

 

慣習としてそこにあるものは、そういうものなんだろうなと素直に受け入れてしまう人の方が多いんじゃないでしょうか。反発することがあるとすれば、それが自分の損になる場合で、その場合はおかしいという警報音が鳴るんじゃないでしょうか。得になる場合は、強力な社会意識や信念がないと、そもそもそれがおかしいと気が付かないのではないかと思います。

 

法律違反であることには気が付くかもしれませんが、法治主義ではなく人治主義を信じている人の場合は、有力者とつながることで処罰を免れるのではなか、という発想になるのかもしれません。有力者に対して忠誠を誓うことが、古い考えの人たちにとっての法で、それさえ守っていれば、自分たちは罪に問われることはないという信念があるんじゃないでしょうか。それは中世的な信念だと思いますが。

 

そして裏金を今までもこれからも持っていきたい使っていきたい、という人たちは、反社会的です。

 

彼らは自分たちでは、他の反社会的勢力を国政の中心に入れないように頑張っているのだ、自分たちは社会の擁護者なのだと主張しているんだと思いますが、改めて動きを見たら、彼ら自身が反社会勢力のように見える、ということがあるんだと思います。

 

反社会的勢力を退けるため、そういった勢力を締め出すために、選挙買収でもやって選挙に勝たなければならない、というのが彼らの主張かもしれませんが、その結果、彼らがやっていること自体が、国有財産の換金や私物化だったりします。それって、彼ら自身が反社会勢力であり、ある意味で、反社会的勢力の国政の中心の占拠は、もう既に起こってしまっている、というふうにも言えるわけです。

 

そう考えると、社会の発展や調和に全く無頓着で、自分たちのために社会を食い物にすることしか考えない、反社会的勢力だからこそ、選挙買収やネガティブ・キャンペーンや大衆誘導の宣伝など、ありとあらゆる不正な手段を使ってくる、というふうにも思えてきます。

 

正義のために不正な手段でも使うというのが彼らの主張かもしれませんが、実際には、目的も不正行為だし、手段も不正行為だという、徹頭徹尾、不正な存在だということなんでしょう。

 

わざとそうしているのかわかりませんが、結果的にはそうなってしまっていて、自分たちがそうなっていると気が付かないために、自ら訂正することもできない、ということではないでしょうか。