収益利他型ユーチューバーのユウスケさんが、最近、れいわ議員の国会質疑の切り抜き動画を出してくださっていますが、それにより大石さんの質疑の様子を見ることができました。

 

僕が理解できた範囲で言うと、大石さんが、自分が委員になっていない委員会で発言したいと申し出た時に、野党第一党の立憲から、大石さんはダメ、たがやさんならいい、と言われ、断られたそうです。

 

それで発言はできないと思って地元にいたら、急遽、発言できることになったと言われて、急いで東京に帰ってきた、というようなことでした。

 

そのこと自体は、裏舞台の事情なので、必要がなければ表には出さないし、ましてや国会の場に出すようなことはないと思われますが、大石さんは、今回、裏舞台で起こったことは、今、国会がおかしな状態にあることを表す大事な出来事だと考え、敢えて国会の場で話すことにしたみたいです。

 

詳細を聞いていると、どうやら自民党が、裏金問題が発覚して以降、逆切れしたみたいに、余計に居丈高な態度をとっているらしく、野党第一党の立憲の国対が、押されて下手に出る感じになっているみたいです。

 

それを考えると、大石さんに特別な発言の機会を与えたいなんて言ったら、自民党から何を言われるかわかったもんじゃないから、申し訳ないけどやめてくれませんか、みたいな話だったんじゃないかと、僕には感じられました。

 

大石さんは裏金批判を強硬に行っているので、自分がしたことを棚に置いて、批判する人を逆恨みするような自民党議員から、憎悪の感情を向けられているということなんだろうと思います。

 

そんな人に対して、特別な質問の機会を設けたいなんて言ったら、何と言い返されるかわからない、という担当者の気持ちは少しはわかる気がします。上司と部下の間で板挟みになる中間管理職のような状態なんでしょうか。

 

でも野党第一党は、自民党の部下ではなくて、対等な立場のはずです。自民党にもれいわにも遠慮しないで、自分の考えを述べればいいということでしょう。

 

もしかしたら交渉の駆け引きを考えていて、いつも自民党に譲歩させられるわけではなく、一回譲歩させると、それが貸しのようになり、次に自分たちが何か呑まなければならなくなる、というようなことを考えているのかもしれません。

 

しかしながら、何でもかんでも取引の内容になるわけではなく、当たり前の国会運営の原則は、何度重なっても借りにはならないと考えることが十分に可能だろうと思うし、55年体制の時代までは、それでやっていたんじゃないでしょうか。

 

昔は、野党に譲歩させるために、あるいは不正追及を弱めてもらうために、自民党から、あるいは機密費のような公金から、野党議員にお金が配られていたそうですが、そんなマイナス面もありつつ、プラス面として、筋が通らないことで妥協しない文化があったのだろうと思われます。

 

僕から見ると、立憲は単に弱気になっているように見えますが、大石さんは、原則論を持ち出して、少数会派とはいえ、国会議員の正当な権利を簡単に剥奪することに立憲が関与していることを問題視し、表舞台でその話題を出すことで、おかしな傾向を早期に正したいと考えているのだと思います。

 

でも、裏舞台で話をつけ、表舞台はセレモニーをやるだけ、というのは、日本の村落共同体の統治法に由来する伝統文化なのではないかと思うので、そこに斬りこんで、変えていくことはそんなに簡単ではないかもしれません。

 

全員が共同体や社会の未来のことを考えられるわけではなく、長老がへそを曲げたら、まとまるものもまとまらなくなるため、何かの話を前に進めたい人は、力のある長老のところを回って、ご機嫌を取りつつ、了承を得て、全員の了承が取れた段階で、表舞台に議題を提出するというやり方があり、そんなやり方が国会でも行われていたのだろうと思われます。

 

なぜなら、西洋の服を着ていても、議員バッジを付けていても、中身は江戸時代の農民の意識の人がたくさんいるのだろうと思われるからです。

 

自民党の中には、大石さんに対して不信感を募らせ、うちの長老に対して何て失礼なことを言うのだ、あいつだけは許さんという人がいるのかもしれません。

 

そしてもうひとつ、アメリカやイギリスでも、中央政府の議会で、かなり厳しいコメントをする人が見られますが、内容的に、大石さんのコメントと、似ているのか、違いがあるのか、比較できる方が比較していただけないか、ということを思います。

 

大石さんの発言は、英米文化圏と同じことを言っているが、日本の風土では通用しない、ということなのか、それとも英米でも、大石さんの発言は奇妙に見えるのか、その辺のことを知りたいと思います。