アークタイムスで、立憲の泉健太さんのインタビューをやっていました。泉さんに今聞きたいことがあるというよりかは、国政政党の党首にインタビューする基本の方針があって、今回、立憲の順番が来たということのようです。前回は、共産党の田村さんが登場していました。

 

泉さんの記者会見は定期的にありますが、落ち着いてゆっくりと話を聞く形式でないと見えてこないものもあると思いました。さまざまな形式で聞いていくのが大事なんだなと感じました。

 

緒方さんはイギリスとアメリカで長く取材した経験があり、アメリカの傀儡化している人たちとは一線を画していますが、比較対象が英米になるので、そういうところが今回も少し感じられました。

 

それが出ていた部分は、アメリカの民主党と共和党の政権奪取の争いにおいては、野党になった政党は与党に対していつも、徹底した不寛容の姿勢を見せているので、泉さんや旧・民主党の人たちの自民党に対する当たりの弱さが不思議に見えるという話が出た時です。

 

反省すべきは反省すると言って、自民党の言いがかりのような攻撃に簡単に屈してしまっているのはなぜかということです。

 

泉さんの説明では、国民の中に反省しろという声があり、反対に、いいところもあったんだからもっとそれを主張しろという声もあるので、両方の声に応じているということでした。また民主党が下野した時に、支持者のほとんどが離れてしまったので、そこが英米の状況と違うという話もされていました。

 

おそらくは、国民の支持が急激になくなってしまったので、戦うにしても、何を背景に戦えばいいかわからなくなってしまった、ということじゃないかと思います。それは時間が解決することで、失った信頼を回復するのに長くかかった、というのが泉さんの感想みたいです。

 

今の立憲人気も、立憲を応援する人が増えたのではなくて、自民党を見放す人が増えただけと見ている人もいるので、そういう意味では、泉さんはまだ喜ぶのは早いということかもしれません。

 

反省するといっても、間違っていたことを本当に言い当てるのではなくて、ただ嵐が通り過ぎるまで頭を低くして耐えているというだけだと、反省の姿勢を見せているだけで、悪かったことを改善することにはならないので、人に対する姿勢じゃなくて、自分たちの中で改善すべきことは何かを考えることが本質的に重要なことかもしれません。

 

その何が悪かったか考えることにおいて、不十分か、何か勘違いしているか、そういうことがあって、支持できない人たちがいるということがあると思います。

 

多くの国民は、立憲離れというより、政治離れしているので、そういう人たちは何をしようとなかなか振り向いてくれないと思いますが、明らかに立憲のここが問題だという意識を持って、立憲離れを起こしている人はいると思います。

 

緒方さんが言うように、野党が与党に対して徹底抗戦して、相手のやり方を全部ひっくり返してやると、必要以上に強く当たっていくことは、イギリスやアメリカのお家芸であり、それは権力分立という点で健全だとも言えますが、やっぱりやり過ぎではあると思います。

 

かといって泉さんが打ち出していた、与党への歩み寄りの姿勢もまた、日本の地方議会では半ば当たり前になっている、オール与党体制を真似するようなことで、それだと批判する人がいなくなってしまいます。大政翼賛会体制というのは、日本の風土に由来するものなのかもしれません。

 

小沢一郎さんが打ち出していた、是々非々の姿勢の方が、泉さんが打ち出したものよりもいいかもしれません。小沢さんも賛成すべきものは賛成すると言っているし、実際そうしているのだと思います。そして人権主義者や平和主義者から見たら反対すべきものにも、小沢さんは簡単に賛成してしまっているかもしれません。しかし反対すべきものが上がってきた時には、徹底的に戦う姿勢を見せています。小沢さんの場合は、国会闘争にはあまり熱心ではなくて、ダメ法案が出てくるたびにそれを政権交代の機運醸成に使っている感じですが、戦う姿勢は打ち出しています。

 

泉さんが言っていることで理解できると思える部分は、自分を応援してくれる人がいなかったら、頑張って戦えないというところです。国民の支持が離れて、お前らどこかに行けと誰も彼もが言い、味方がいないという状況では頑張れないというのはわかる気がします。

 

これについては、原口一博さんには当てはまらないかもしれません。個人的に応援してくれる人が選挙区の人以外にもたくさんいるからです。

 

それは以前から陳情に来る人を大事にしてきたからなのかもしれないし、大きな社会問題を持ち込んでくる人に対して協力してきたからかもしれないですが、最近のSNS発信の成果が出ているせいもあるかもしれません。

 

自民党でも、一人一人の議員の発言力が強かった時代は、個人後援会が強力で、党の支援にはあまり依存していなかったという背景があったようです。

 

個人として応援してくれる人がたくさんいる、という場合には、党が迷走しても、それほど影響を受けないかもしれません。

 

しかし多くの人は、顔が見える支援者を頼りにして、一般人へのアプローチはあまりしていないのだろうと思います。一般人については、個々の顔を見ないで、支持率のような数字を見ているようです。それは選挙結果に結びつくので、それは意識する。しかしその向こうにいる実在の人間に、自分からアプローチしていくことは考えない、ということかもしれません。

 

 

共産党に対する思いを聞かれていた部分では、普通の礼儀の感覚に適うような発言が出ていました。候補者調整は大抵、共産党が自分たちの候補を降ろすことで成立するので、政策協定も、その他の見返りも何もなく、ただ自民党政権を終わらせるという共通の目標があるだけで、候補者を降ろしてもらえていることに、申し訳なさや感謝を感じているという雰囲気が感じられました。

 

しかし実際には、旧・民主党系の京都の議員・候補者は、地元では、共産党に対する激しい対抗意識を示していますが、そんな矛盾する対応と、東京でインタビューに答える時の姿勢との矛盾については、ほとんど誰も語ってくれていない気がします。

 

泉さんには反共意識はあまりないけれども、他の人の中にそれがあるので、組織人としては多数派に合わせるしかないというような事情があるのかもしれないと思いました。組織で正式に議論を通じて決めたことについては、党首もそれを尊重し、一存でひっくりかえしたりはしない、というスタイルで泉さんはやっているらしいのですが、それは多数派の声に引きずられていると言うこともできるでしょう。

 

そして泉さんの理解では、立憲の政治資金規正法の改正案が厳しめの内容になっているのは、共産党の提案に対して譲歩して、合わせた部分があるから、ということのようです。野党でまとまって案を出していくことを考えると、立憲の中の感覚だけでなくて、他の野党の感覚も反映させていくことが大事だという考えがあったみたいです。立憲が他の野党に対して配慮するというようなことは、これまであまり感じたことがなく、むしろ狭量さ、横柄さが目立っていたので、泉さんの言っていることは後付けの理屈(たまたま一緒になったので共産党に譲歩したことにしよう)のように感じられますが、本当じゃないとも言い切れないかもしれません。

 

 

消費税減税を言わないのはなぜか、という質問に対しては、給付付き定額控除(だったかな?)を選んでいるという返答でした。

 

一律減税すると、家のような高額商品を買う人も減税になるので、それよりは中所得、低所得の人たちに恩恵を振り向けられる、消費税の全体は維持しつつ、富裕層を除外して減税するやり方がいいと判断したということみたいです。

 

しかしこれも詭弁な感じがしますね。

 

消費税を維持したい、という部分が大きいような気がします。党内に消費税を維持したい人が多くて、その意向を無視できないということのような気がしますね。

 

累進課税は、以前は所得税でやっていたので、以前に戻せば、富裕層に課税できるわけです。

 

企業活動を活発化させるために、資本の領域にお金が流れる工夫をする必要はあるかもしれませんが、お金持ちに減税する必要が何かあるとも思えません。

 

お金持ちがお金持ちとして存在し、それが社会的に恩恵をもたらすのは、彼らが社会貢献の意識に目覚めている時だけで、現状では、そういう人はあまりいないということだろうと思います。

 

もしかすると、立憲の中で減税を考える時に、財政に詳しい人が多いために、減税でも給付でも、富裕層に恩恵が行かないように考える原則、恩恵はエンゲル係数の高い人たちに向かうべきだという原則が、強く意識されるため、その原則から外れた政策は採用できない、ということかもしれません。

 

ご本人は普遍的かつ良心的なつもりだけど、頭の固さや視野の狭さがあって、柔軟に対応できていない、ということかもしれないと思いました。

 

もちろん、指摘があるように、単に財務省が指し示す方向性の実現を考えている人も多いのかもしれません。財務省が指し示す方向性というのは、そもそもの発端は善意だったようですが(無謀な戦争を下支えした放漫な財政運営に歯止めをかける)、そのうち惰性になって、単に増税すると出世する流れができてしまい、多くの人がこうすれば出世するというゲームを戦っているにすぎない、ということみたいです。