エンディングは、5つくらいあるんですかね。ひとつのルートは、一人の人の内面を掘り下げる内容になっているようです。

 

イリス、オウタのルートは、エンディングまで行けました。今やっているのはミズキのルートみたいです。あと二つは、ボスとヒトミみたいな感じです。

 

イリス、オウタ、ミズキが抱えている気持ちを見ると、どれもそれなりに切実で、心動かされる部分があります。しかし彼らが直面している問題は、特異なものではなくて、オーソドックスなものという感じがします。

 

イリスは難病で若くして死ななければならない人の悩みだったと思います。

 

オウタは、両親が素朴な人であり、オウタ自身も子供らしい子供でのびのび過ごしていたので、親孝行をしようと思うタイミングが遅すぎて、家族全体が幸せになることを逸したという感じです。お父さんは病死し、お母さんは病気で障害を負いました。

 

飲食店を経営していた家だったので、オウタが跡を継ぐ選択肢もあったのですが、周辺地域の状況が変わって、店を維持することはできなくなり、オウタは何か他の仕事を探さなければならなくなっています。オウタは作家志望なので、フリーターか無職の状態で、まだいまだに、家族を支えられる状況になっていません。

 

家業がなくなり、職業選択の自由が言われ、たくさんの職業の中で何を選ぶか迷うような時代状況の中で、オウタのように、不安定な立場に陥る人が増えているということがあるのかもしれません。

 

オウタの両親のように素朴な人は、一昔前と今の環境の激変をどう考え、どう対処するかという発想には立てないので、昔ながらの考え方で対処して、善意に溢れているのに、あまり幸せになれないという状況に陥るのかもしれないと思いました。

 

ミズキは、お父さんは会社を経営していて、お母さんは仕事をやめて専業主婦をしていましたが、お母さんが育児ノイローゼ気味で、ミズキを虐待する感じになっていました。

 

お母さんは、ずっと仕事をしていくつもりでいたのに、結婚することになって、子供もできてしまって、母親になることに戸惑いを感じているようでした。

 

このミズキのお母さんは、自身の母親が新しい子育ての理論の影響を受けて、あまりスキンシップをとらなかったという設定になっていて、その影響で、子供とうまく接することができない人になったということになっていました。

 

そういう背景があって、普通よりも不器用で、怒りやすい状態になっていたのかもしれませんが、それほど大きな問題を抱えていなくても、子育てに向かない人間というのもいるかもしれません。

 

その場合は、父親や祖父母が介入して、子育てを肩代わりできたらいいのかもしれません。しかしミズキの家には、そんなふうに肩代わりできる人がいなかったのかもしれません。

 

ミズキがダテに預けられたのは、外形的には、両親が離婚して、父親がミズキを引き取ったものの、仕事が多忙で子供に構う時間がなく、ほったらかしになりがちだったから、ということみたいで、他人のダテの家に住む方がまだ環境が良いのではないか、ということだったみたいです。

 

しかし詳細に立ち入ると、ミズキの父親の方は、母親よりも、子供の立場に立って考えられる人だとしても、子供好きまでは行かないし、仕事も多忙だったので、常識人のダテの方が、子供の相手をするのにまだマシな人間だったということのように思われます。

 

ダテは反抗的な態度をとるミズキに手を焼いていますし、振り回されたりしていますが、子供はそういうものだという理解があるし、同じレベルで言い合いができるほど、子供心を持っているので、ダテも仕事人間ではありますが、まだ実の両親よりも、子供にとって良い環境を提供してあげられるということだったよううに思えます。

 

ミズキの場合も、オウタと同じで、自分にもっと理解力があれば、賢くふるまえていたら、自分の家族は壊れずに済んだのではないか、という思いを持っていました。

 

子供には、自分の行動を自分で制御する能力が十分には備わっていないので、実際には自然に自分が行うことを、自分の意志で全く別物に変えることは難しく、責任能力がないため、責任はないのかもしれません。

 

しかし自分が状況を悪化させるために、多く関わったということが、過去を振り返った時に見えてくることもあるわけです。

 

自分の周りの人を幸せにしたい気持ちがあるのに、そうできなかったという思い自体が、失敗したプロジェクトのことを言っているとしても、その気持ち自体が崇高なもののようには感じられます。

 

でもやはり、状況に対して責任をとれるのは、成熟した大人だけで、未熟な人間には、賢い選択はできないため、最初から失敗が運命づけられているようにも感じられます。その意味では、どうにもできなかったというふうに思えます。

 

そして、人間の地上での使命は、関係する人全員を幸せにすること、では、おそらくないので、それで幸せかどうかという基準で測ると、うまくいっていないケースが多く見られるんだと思います。

 

自分の使命を果たすことと、周りの人の幸せに責任を持つことは、重なり合う部分はあっても、完全には重ならないのだろうと思います。

 

できれば関係する人に幸せになってもらいたいと思っても、それが実現するための条件が不足していると、そうなりません。そして幸福が唯一の目標というわけでもないので、それぞれが自分の使命を果たしつつ、それぞれがあまり幸福でないまま終わるという運命だった場合、使命を意識していれば、なかなか良い人生だったと言えますが、幸福こそ人間にふさわしいものと考えていると、同じ状況が失敗した人生だったように見えてきます。

 

イリス、オウタ、ミズキの人生についても、幸福を一番に考える価値観に基づいて描かれているので、彼ら自身や彼らの周りの人間が不幸であることで、残念な感じやほろ苦い感じになってしまっているし、逆に自らが果たすべき使命については、ほとんど考慮がなされていない感じがしました。