今、「人間生活の運命を形成するカルマ」を読んでいます。他の本にも出てくることですが、人間が前世の経験から今世に持ってくる精神的な産物は、前世で音楽家だったので、今世でも音楽家になるというような単純な関係になく、前世での何らかの深い経験が今世の人格の基本的な姿勢や活力に反映するというような、そんなにわかりやすくはない関係になっているようです。

 

その理解を持った上で、つばさの党の幹部が逮捕された事件を見ていると、つばさの党の人たちの基本的な性格には、未成熟なものが見える気がしました。

 

僕は評論する動画を見ただけで、つばさの党の活動そのものを写した動画を見てはいないので、基本的に伝聞情報しか持っていないので、正確性は落ちるかもしれません。

 

カルマ研究のためには、実際にその人に会って、受ける感じとか細かい情報を拾う必要があるようです。前世から今世に受け渡されるものは、わかりにくい関連で受け渡されることが多いからです。

 

黒川さんについては、メディアを介して前から見ていたので、その時の印象では、性格に弱さがあり、判断に当たって自己顕示欲のような欲望が関与してしまっている、ということが感じられました。

 

一方で、小規模な政治活動、政党活動を継続してやってこられていることから考えて、強い意志や実行力を持っておられることが窺えます。

 

思想的にも、反グローバリズム運動として首尾一貫しているように見えます。

 

つまりご本人は真剣な思いでやろうとしているのかもしれないが、性格の根底に未成熟なもの、不真面目なものが居座っているために、判断において時々間違いを犯す、という感じがするわけです。

 

そして、黒川さんが選挙に出て敵対候補を攻撃するやり方は、山口の安倍さんの選挙区で選挙に出た時と、あまり変わっていないという話を聞きました。その時は、山本太郎さんが継続的に応援に入っていましたが、関係がその時だけで切れてしまったらしくて、山本さんが黒川さんのやり方に違和感を感じたということかもしれません。

 

相手陣営の演説に赴いて、そこでおかしいことが言われていたら、異議申し立てをするということなら、泡沫扱いの人が強大な相手に何とか食い下がろうとしているように受け取れるかもしれません。しかし黒川さんは、相手陣営の車を追いかけまわしたり、演説の時に騒音を立てて聞こえなくさせるというような、粗暴な振る舞いをするらしいので、それだと主張の内容は名目で、本当は公共の場で暴れまわって日頃のうっぷんを晴らしたいだけじゃないか、という疑いが生じてきます。

 

こういう乱暴さは、ヘイトスピーチやヘイトデモをする人の中に見られるものです。なので黒川さんたちを、それと同一視する人がいます。

 

民主化運動の本流のフランス革命でも、理想主義だけでは済まずに、暴徒が町に出て暴れまわる要素がありますし、反ヘイトの運動でも、ヘイト運動をする人たちにかなり乱暴な当たり方をする場合があります。

 

なので乱暴さだけ、行儀の悪さだけで批判するべきではないのかもしれません。しかし本当に心の底から真面目さで貫かれていたなら、つばさの党がとっているような判断や態度にはならないように感じられます。

 

山本太郎さんも、見る人によれば、つばさの党と同じで、既存政党に対して牙をむく粗暴な人というふうに見えるかもしれません。でも山本さんの国会質問を見ると、全ての案件に対して全力で取り組んでいることが伝わってくるし、心の底から真面目な人なんじゃないかと思えます。

 

山本さんほど真面目な人はあまりいないくらいだと思うし、僕も山本さんには及びもつかないわけなので、それと比較して、黒川さんたちが劣っていると言うと、かわいそうかもしれないです。

 

でも政治活動は真面目にやらなければならないものかもしれません。新しく出てくるものは特に誤解されやすいので、誤解している人の中で、少しでも理解者を得ていくためには、普通以上に真面目にやらなければならないということかもしれません。

 

 

つばさの党の問題については、市民の言論活動の自由の観点から心配して見ている人がいますし、東京都知事選でつばさの党の活動が抑制されてしまうことを考えて、東京15区の補選と違った環境になることで、何が変わるかを心配して見ている人がいると思います。

 

つばさの党は、都民ファースト、維新の会、日本保守党を中心に攻撃していたようですが、それがなくなっても、立憲野党の勢力が勝てるのかが問題となるかもしれません。

 

新しく名乗りを挙げている、石丸さんは、新自由主義的な考え、姿勢を持った人だという評価を聞きます。