最近、山本太郎さんの街宣が夕方に行われていて、時々配信を見ています。国会が終わってから、すぐに行ける繁華街でやっているんですかね。

 

以前は、見ている僕も涙が出てくるし、山本さんも泣いてしまうような演説がありましたが、その後、慣れてきた感じで、うまく言えませんが、流してやっている感じに見えていました。

 

感動させるためにやっているわけではなくて、政治から遠い場所にいる人に声を届けるためにやっているわけなので、話す内容よりも、これまで政治に関心がなかった人にどれくらいアプローチできるかが問題となっています。

 

なので話の内容にどうこう言うつもりはありませんでした。

 

その後、国会の質問で、山本さんが声を荒げる場面があったり、記者会見で、野党共闘に対して拒否反応を示すような場面があったりしたので、山本さんの姿勢に何か変化があったのかなと思っていました。

 

しかし東京15区の補選で、山本さんが須藤さんの応援に行ったのを見て、以前と方針は変わっていないのかなと思いました。

 

そして最新の街頭演説を見て、手慣れた雰囲気はあるものの、力がこもっていて、円熟期という言葉が思い浮かびました。

 

会場に来ている人は、以前は、社会から疎外されて困っている人が多かったように思いますが、その後、頑張って経営していたが続けていけなくなって廃業した個人事業主の方が現れ、今回は、小規模な建設事業者の方が来られていました。

 

そういう人は、保守派やノンポリのカテゴリーに入れられていた人のような気がしますが、そういう人がれいわ新選組に陳情にやってくる事態になっているということじゃないでしょうか。

 

訴えが届いている、広がっていると受け取ることもできますが、経済状況が、一段階、悪くなっているということかもしれません。

 

今困っている人に対して、(権限を持っていないので)今すぐどうにかできることは少ないし、まず、中規模政党になって、その後、政権交代を起こして、連立政権の中心に立つか、単独政権を担うまで、待ってくださいと言わなければならない、のかもしれません。

 

今困っている人に何と言うのか難しいところだし、本当に政権交代が起こせるのか確かなことも言えません。

 

それでも、実現のために頑張るし、できようとできまいと、全力で駆け抜けるのみ、という意識でいらっしゃるのかもしれません。

 

なぜなら、こうしたいという意志を示すことは自分の権限でできても、その考えを試してみろ、と言ってもらえるかどうかは、国民の多数派の同意がもらえるかどうかだからです。自分では決められないわけです。

 

悪い流れが、濁流のように流れているため、一人であれもこれも対処できない状況なんでしょう。それで、全体を何とかしたいという気持ちを持っている人でも、実際にできることは自分でできることを、与えられた時間の間、やり通すということかもしれません。