僕は5人のキャラクターを1周ずつして、さらにアメイアをもう1周した時点で終わりにしたのですが、スチームに書き込まれていたレビューを見たので、もう少し考えてみたいと思います。

 

分岐があるゲームなので、見ることができなかったエピソードがあるということが一番気になります。特に重大な事件や重大な謎を見逃しているとなると、メイン・ディッシュを食べないうちにレストランを去るようなことをしていることになるので、それは気になります。

 

しかし全般的にあっさり目のストーリーなので、出し惜しみしてなかなか見せてくれない部分に、そんなに豊かな内容はないんじゃないかと思って、あまり心配はしていないんですが。

 

多分、アドベンチャー・ゲームの、エンディング回収のような技術が必要とされているのではないかと思います。

 

何度も挑戦して全ての分岐をたどり尽くすとか、条件を満たすことで開始する分岐を発見するとか。

 

それによって、少しずつ隠された謎が明らかになっていくことが楽しいという人もいるみたいです。努力に対してゲームが応えてくれるし、何もしなければ何も起こらないというシステムが、非常にやりがいがあるということみたいです。

 

僕は、条件分岐でひとつを選んだ時に、選ばなかったものを覚えていくということが苦手ですし、努力しないと謎が明らかにされないというシステムは、意地悪をされているように感じてしまいます。

 

それで道なりに進むことで、だいたいの謎が明かされる方式の方が好みです。

 

サガエメのシステムには慣れたので、もし他にやることがなかったら、周回をぐるぐる回ってもいいと感じていますが、注ぎ込んだ労力に対して、得られる報酬がどれほどあるかを考えると、やめて他のことをした方が得じゃないかという気がします。周回しても、ほぼ同じ課題に取り組まなければならないと思うので、それもマイナス要因です。

 

闇の王シウグナスのストーリーでは、連れていけないがお前は眷属だと言い渡すシーンが何回もあったので、多分、その人たちは周回を重ねると仲間になっていくんじゃないかと思われました。

 

条件を満たすと仲間になるか、誰かを選ぶと誰かは選べないか、そんな感じかもしれません。

 

制作者に、何かを選ぶと何かを捨てなければならない、という一般原則を伝えたいという気持ちがあるなら、百英雄伝のように、全員を同時に仲間にするということは不可能になっているかもしれません。

 

選ばなかった方に、ものすごく豊かな内容があり、選んだ方には、あまりたいした内容がないということだと、不公平だと感じるし、自分が損な選択をしていることに気が付かないと、自分が見逃したものの価値を知らないで生きていくことになります。

 

そういう意味でも、全てのエピソードを薄味にしておくことは、親切なのかもしれません。全部見たい人は繰り返し挑戦してもいいし、自分がしたひとつの選択を大事にするのでもいい、ということになるからです。

 

「ソウルハッカーズ2」で、苦労してトゥルー・エンドを見たのに大したことがなくて、ノーマル・エンドを見るだけで終わっていても構わなかったと感じたことがありましたが、それもある意味での親切だったのかもしれません。

 

ソウルハッカーズでは、話の展開上、死んでしまう人を、死なずに済むような展開に持って行くことが、もうひとつのエンディングが存在する意味で、それは誰も死なせたくないという思いを持った人と、全ての展開を見てみたいという人のためのもので、それ以外の人はそのまま終えても良かったのだろうと思います。事前にそれがわからないので、何が隠されているのだろうと興味を持って、2周目をやってしまったんですが。