5人目は、闇の王でやっています。闇の王のストーリーは厚みがあって面白い感じがします。

 

闇の王自身も、独特のキャラクターで面白いんですが、眷属(従者)の一人一人が生きていた頃にあったことを探る内容になっているので、一人の主人公のストーリーなのに何人分もの人生を見ることができるようになっています。

 

多分、そんなに深みがある内容でもないんでしょうが、分量があると、それなりに満腹感が得られるということのような気がします。

 

生き方の姿勢は一人一人違うので、それを見るのは楽しいかもしれません。それは小説を読む感じというよりも、5分程度で表現されるポピュラー・ソングを聴く感じに近いかもしれません。ポピュラー・ソングでは、歌い手が世界とどのように向き合っているかが表現されているように思われるからです。

 

あとは、いろいろな種族が仲間にできて、操作可能になるというのは、結構面白いことがわかります。

 

そういう意味では、「百英雄伝」も同じ面白さがあるんじゃないかと思えます。「百英雄伝」や「幻想水滸伝」の場合は「水滸伝」が参考にされているため、戦争や反乱が出てくるので、個人の内面の旅という感じにはなっていないんじゃないかと思います。

 

戦争が起きていると、個人には全体状況のために自分が何を差し出せるかが問われることが多くて、自分が求めているものは何なのか自問したり、今の自分の至らなさを克服するにはどうしたらいいかと悩むような余裕がないだろうからです。

 

あるものを差し出すことは、ある意味では簡単で、勇敢に役目を果たせるか、臆病風に吹かれて役目を果たせずに終わるのかの違いはあっても、予想の範囲を超えることはあまりないような気がします。

 

内面の旅の場合は、何をどうすればいいのか、さっぱりわからないこともあるので、何が出てくるか予想ができないところがあります。

 

サガエメは、旅の遍歴を描いてはいますが、あまり深いところを描こうとはしていないので、見ていて触発される部分はあまりありませんが、旅を通じて、生活環境も考え方も違う人と、関わりを持ったり通り過ぎたりする人生の経験を、早回しで見せてもらっている感じは少しあります。

 

理解できない人や、一緒に生きられない人がいることは、当たり前のことで、深刻に考えることはない、という悟りを得ることができるかもしれません。

 

社会を構成している人はみんな同類で、お互いに理解しあえるはずだ、深く関わるべきだと考えている人にとっては、違いが大きすぎたり、利害が対立しすぎていて、良好な関係を持てない場合も世の中にはあることを学ぶことは、思い込みを見直すきっかけになるかもしれません。

 

しかし今の時代はむしろ、一人一人が別々の人生を生きていて、親しくするのは家族だけで、他の人のことは身近に感じられないという世界観の人の方が多いのかもしれず、そういう意味では、旅の物語よりも、ひとつのプロジェクトをたくさんの協力者を得ながら実現してく話の方が適しているかもしれません。