今、3人目の主人公で進行中ですが、1人目はあっさり終わり、2人目は最後の敵が強すぎて放棄しました。主人公によってストーリーの長さや、戦闘の難しさが違っているんですかね。途中の選択肢で何を選ぶかでも違ってくるのかもしれませんが。

 

「エメラルド・ビヨンド」は、たくさんの平行世界がある設定となっています。それぞれの主人公はその中のひとつの世界で生きていますが、他の世界と行き来する能力を手に入れます。

 

「スカーレット・グレイス」は、ひとつの大陸に風土や体制が違う複数の国があって、国境を越えて行き来するようになっていました。

 

行き来するのが国であるか世界であるかの違いは、自由に行き来できる度合いの違いだと感じます。世界の場合は、行き来するのがそう簡単ではないので、一度訪れるとやり残しのないように、とことん謎を究明する必要があります。後でまた戻ってくることができない可能性が高いからです。国の場合は、他に気になることがあったら、後戻りしたり通過したりしても構いません。

 

ある特徴的な世界を訪れて、すぐ去っていくという感じは、「銀河鉄道スリーナイン」と近いのかもしれません。あるいは「ガリヴァー旅行記」や「ユートピア」と言ってもいいかもしれません。

 

世界を行き来しない立場の人から見ると、世界を行き来する人は、外の世界からやってきた異邦人ということになります。それは人によって、神様や天使と受け取る場合がありますし、宇宙人と受け取る場合もあります。単に、外国人のように、こことは違う世界で生きているけれども、同じように家族がいて感情がある同じ人間と受け取る人もいます。

 

「スカーレット・グレイス」も、「エメラルド・ビヨンド」も、世界との関わり方や、問題の対処法が、ほとんど全て「戦闘」となっているので、「戦闘」に工夫のし甲斐が盛り込まれていて、それを楽しむゲームなのだ、という理解があるようです。

 

しかしストーリーに力を入れると、テーブル・トークRPGのような面白さが出てくると思います。「戦闘」以外にも、「パズル」が取り入れられていますが、「戦闘」でも「パズル」でも、何のために戦うのか、何のために模索するのかが提示されていないと、意味が感じられなくて、面白くないと思うのです。逆に、これを突破することで、何の解決につながるのかがわかっていると、やる気も出てくるというものです。

 

で、ストーリーに関しては、魅力的な人物はいたような気がしますが、世界設定でも、ストーリー展開でも、あっさり気味で、文学作品やSFの名作とは比べられないという感じがしました。

 

文学作品やSF作品を取り入れることは可能かもしれませんが、それらの名作と肩を並べるとか、新機軸を打ち立てるとか、そういうことは、なかなかできるものじゃないのかもしれません。

 

アメイアのストーリーを見て、魔法少女もののゲームは面白いかもしれないと思い、可能性を感じました。アメイアの話でも、小学生の友人たちが、さまざまに個性的で、面白くなりそうでしたが、あまり何事も起こらないうちに終わってしまいました。

 

こういうのは、「ペルソナ5」とか「名探偵コナン」でも試みられていて、学園生活と異世界との二重生活の面白さだと思います。「コナン」の場合は、異世界に当たるものは、殺人事件とか大人のどろどろした愛憎劇ですが、異世界と言えば異世界です。

 

多分、普通の人間の場合は、日常に派手な事件が起こることもなく退屈なので、例外的に、日々、スリリングな事件に遭遇している人が興味深く、まぶしく見えるということじゃないでしょうか。

 

ここで平凡な日常を弁護しておくと、平凡な日常には、確かに派手な出来事は起こらず、日々の地道な積み重ねが要求されることが多いですが、例えば歴史を学んで、自分がここにいる意味を見出すことができると、自分がしなければならないことに気が付くことができるんじゃないかと思います。

 

自分の人生についてわかってくると、他の人のきらびやかな人生や、空想の世界にしか存在しない栄光をうらやんでいる暇はなくなってくるだろうと思います。

 

きらびやかな人生を覗き見することは、甘いお菓子を食べるようなことで、日常の体づくりのためには、ごはんや野菜や肉を食べる必要があるということかもしれません。