補選が終わった後の政治テーマは何なのか、いまいち見えなかったんですが、いろいろな動画を見て、いくつか情報を得ました。

 

もう終わりましたが、憲法記念日には、これまでずっと、改憲派と護憲派が集会をやり、自分たちの意見を通し、相手方の意見を潰すように決意を新たにする流れが続いているようで、指導的な役割を果たしている人は、集会をやらなくても、何かしらの発信をしたようです。

 

NHKのテレビでは日曜討論があり、そこでは改憲の立場の人と護憲の立場の人が意見を戦わせたみたいで、両方の立場の人が同席する機会はあまりないと思うので、貴重な場だったのだろうと思います。護憲派としては、共産党の山添さんと、れいわの大石さんが頑張ってくれていたようです。

 

以前は、小林節さんが改憲派に入っていて、小林さんの考えは、護憲派のように、改憲の議論から逃げることは良くない、主張を掲げて戦う方がいい、そうしないと運動が弱くなって、いい加減な憲法改正の議論を通されてしまう、ということだったようです。

 
小林さんの他にも、占領下でできた憲法は日本人の手で新たに作り直した方が、独立を確立するのにいいのではないか、と考える人がいたようです。
 
今では状況が変わっていて、改憲の推進力になっている勢力が3つほど指摘されて、広く知られることとなり、日本人のための改憲ではないことが明らかになってきたので、今の状況では改憲の提案は全部却下する方がいいという判断に傾いく人が増えてきているんじゃないでしょうか。昔ながらの護憲派とは違う人が、護憲の立場に合流してきていると思われます。
 
一方で、憲法改正を掲げると、それを望んでいる勢力から応援してもらえるかもしれない、ということで、自分の選挙を第一に考える人が、まだ改憲にこだわっていて、一昔前に流行った言い方をまだ続けています。憲法改正の議論から逃げるのは無責任だ云々などと。
 
基本は、自分の当選のことしか考えてない、大臣や総理大臣になりたいという自分のキャリアパスのことしか考えていない人が言っていることだと思うので、しょうもなくて、まともに相手にする必要を感じないわけですが、そういった人たちは目先のことだけを考えて発言していて、本気ではやる気がないとしても、流れができてしまうと本当に憲法も改正し、中国との戦争もやることになるかもしれないので、流れを押し戻す機会があれば、ひとつひとつものにしていくことが重要なんでしょう。
 
憲法記念日のNHKの番組での論戦は、そんな機会のひとつだったのかもしれません。
 
 
それから国会では、政治資金規正法の改正をやるようです。
 
裏金問題に関しては、問題が発覚してすぐに、自民党の政治家が、信頼回復をと言っていたので、その時点で、問題を覆い隠すことを考えていると感じました。
 
本当に真摯に取り組む人なら、まず何が起きているのか調べて、処罰すべき人がいたら処罰して、再発防止のために何ができるか考えて、手を打ってから、組織として謝罪し、どういう状況か説明し、どういう体制で再出発するかを表明するんじゃないでしょうか。
 
最後には、今後は真摯に職務に取り組み、信頼回復に務めますと言うかもしれませんが、そのセリフを最初の時点で言っているので、調査も再発防止策も何もする気がなくて、ただ国民の記憶からこの問題を消去したいだけということが感じられたわけです。
 
隠して誤魔化して忘れさせるという方針でやっている人たちが、政治資金規制法を改正すると言っても、それも誤魔化すための方法のように見えますし、何なら、改正のついでに、もっと悪いことがしやすくなるような改正案を出してくるかもしれないと疑ったりするわけです。
 
政治資金規正法については、郷原信郎さんと古賀茂明さんの意見を聞きました。郷原さんは立憲民主の改正案はだめなので、考え直してほしいということを言っていました。古賀さんは反対に、思い切って厳しい内容にしているので、他党に比べて良い内容という評価でした。自民も維新も、企業献金が欲しいので、厳しい内容にはしたくない事情があるので、それが法案にも反映しているのだと思います。
 
郷原さんがだめだと思った部分は、連座制の部分で、会計報告書を作って提出した会計責任者だけでなく、政治家が連帯責任を負うことになっていることが、法的には無理筋の議論に映るみたいです。
 
立憲民主の中にも、法律や会計に詳しい人がいるので、その人たちに関与させていたら、こんな内容になっていないはず、ということでした。この問題ではこの人が第一人者だから、この人たちに加わってもらおうという形ではなくて、国対で適当に作ってしまったんじゃないか、という予測を郷原さんはしていました。
 
泉さんが、選挙で小沢さんの力を借りたいと思っても、党内でそれを快く思わない人が多くて、そうできないという話も聞いたことがあります。泉さんの弱気の問題なのか、小沢さんを嫌いな人が好き嫌いを捨てられないことが問題なのか、何が問題かわかりませんが、人の起用に当たって適材適所でやれないということは、結構、深刻な問題じゃないかと思われます。
 
自民党は、嫉妬や恨みや党派的な争いばかりで人事が決まっているので、自民党から出て野党に来た人が、自民党の文化を野党側に持ってきたということかもしれないですし、みんな日本人なので、みんな同じ性質を持っているということかもしれません。
 
多分、大学等で、ヨーロッパ近代の文化を、表面的にではなく本質まで、心の中に受け入れた人は、合理的に考え、合理的に行動することができるのだと思いますが、表面的にしか受け入れなかった人は、合理性とは違う精神で判断し、行動するということじゃないかと思います。
 
政治資金規正法がどうあるべきかについては、郷原さんが言っているように、検察を強めてしまってもまずいし、政治家を守りすぎても駄目ということなんだと思います。関係する人たちの力関係が拮抗するように工夫すべきということかもしれません。
 
それが、話せばわかる人と考えて決めるようにはなっていなくて、自分のことしか考えない人を相手に、どこまでやり遂げられるかということだと思うので、それで大変なんでしょう。
 
それぞれの考えがあり、立場があって、なかなかひとつにまとまらないという、どこでもある事情だと言うには、ただひたすら自分のことしか考えずに、その本音を伏せて策略的に振る舞うといった悪人が多すぎるように感じられます。
 
 
都知事選のことも話されていました。
 
市民運動の中で、候補者を準備する動きは既にあるので、魅力と実力を兼ね備えた候補、知名度がある候補を探していて、擁立に当たっては、統一候補になるように調整することも考えられているのだろうと思います。
 
小池さんが立候補した場合には、学歴詐称疑惑の追求をしている方(小島敏郎さん)が、刑事告発すると言っているそうで、そういう方法でも、戦いが行われています。
 
小島さんは、小池さんが政治家の力量や倫理性において不適格だと言っているわけではないようですが、自分の学歴について嘘を言ってそれで当選しているということを問題視していて、それは法律違反の行為なので、法律違反をしても罰せられない人がいるということを正さなければならないという発想だったんじゃないでしょうか。
 
しかし小池さんが政治家として問題がある人物だとみなしている人からすると、小島さんは不適格な政治家を、適格な政治家に取り替えるための、ひとつの重要な働きをしてくれた人というふうに見えると思います。
 
小島さんの行動がなかったら、小池さんは国政復帰して総理大臣になっていたかもしれないし、それが難しければ都知事再選を選ぶこともできたと思われるからです。
 
東京15区の補選で、都民ファーストと、日本保守党の勢いを止めた功績が、つばさの党の根本さんにあるという意見を目にしましたが、それも大きかったのかもしれません。
 
根本さんは、須藤さんに対してだけ攻撃せずに、反対に応援していたそうですが、その心は、反グローバリズムの同志だからというより、国民生活を壊す方ではなくて、守る方だから、ということだったように、僕は感じました。根本さんの演説がこんなだったよという解説を聞いて判断しているのですが、根本さんは自分の子や孫の生活が心配なので、本当は政治家なんてやりたくないけど立ち上がったということみたいです。なので、同じようにこの国の先行きを心配している一般国民と同じ感覚なんじゃないかなと思った次第です。