ヨーロッパの歴史の中では、王制と民主制が短い期間の間に交互に入れ替わることがあり、その都度、憲法も入れ替えられる事例があったようです。

 

それで、わかりやすさのために、何年憲法という呼び方をしています。

 

それを日本にも適用すると、大日本帝国は1889年憲法、日本国憲法は1946年憲法と呼ぶことができるかもしれません。

 

戦後世界で、護憲運動と改憲運動が長く戦ってきた経緯があり、その観点から見ると、日本国憲法が正当で、それを壊そうとする勢力が不当だという見方になります。逆の立場の人は、いやそれはおかしいと言っていて、代案を出していますが、帝国憲法に戻すということは言っていません。

 

代案というのは、自民党の改憲草案で、最初に作られた後で、改訂版が出ているようです。

 

しかしこの自民党の改憲草案は、まだ実現していないということ以外に、一人の人が責任をもって監修していないという理由で、正当な憲法草案だとは言えない気がします。

 

1989年憲法は、僕は詳しい経緯を知らないのですが、おそらくは伊藤博文監修なんじゃないでしょうか。

 

1946年憲法は、GHQの民生局で草案を作ったという話ですが、マッカーサー将軍と民生局のトップが内容のまとまりに責任を持ったのではないかと思います。

 

自民党の改憲草案は、最初の版については、舛添要一さんがとりまとめをしたと聞いています。当時の実力者は中曽根康弘さんで、中曽根さんも改憲草案に関わったみたいですが、前文に対してこれを入れてくれと言ったとかで、部分的に関わっただけじゃないかと思います。

 

舛添さんの役割は、監修者というより、書記のような役割だったというのだったらいいのですが、そうであれば誰が監修者なのかが示されるべきじゃないかと思います。

 

中曽根さんという重鎮がいる時に、下っ端の舛添さんが憲法草案の内容を、自分の権限で切ったり貼ったりできるのか、ということが疑問です。

 

結局、多くの人が自分の国家観や憲法観を披露して、好き勝手言った後で、舛添さんが最大公約数的な内容をとりまとめたということじゃないでしょうか。

 

1889年憲法でも、1946年憲法でも、今後の日本の運命について責任意識を持った人が監修しているのだと思いますから、内容に理想が込められ、それぞれの条文が全体の流れと矛盾することなく並んでいるんじゃないでしょうか。

 

1946年憲法については、アメリカ人が日本に対して責任を持っていたのかという疑問はありますが、日本から軍国主義を取り除き、平和な民主国家として再出発させるという方針は、日本人としても受け入れられるものだし、実際受け入れられました。

 

もし敵として戦った人たちの感情の高ぶりから、日本に懲罰を与え、二度と立ち上がれなくしてやるという、攻撃的な発想だけで憲法が作られたとしたら、時期が来たらそんなものは廃棄しようということになるでしょう。

 

自民党の改憲草案は、多くの人の感覚とか感想が全部ぶちこまれた感じになっていますし、そもそも日本国憲法をもとに、切ったり貼ったりして、オリジナルな作品とはなっていないと思います。

 

これを考えた人が、どういう立場で考えているかというと、今の言葉で言えば、元地主や元士族の家系の人が集まって、自分たちは「上級国民」だと考え、上級国民として人々を支配する時に、どういう条項があったら便利かと考えているのだと思います。

 

これだと、1889年憲法の国家統合の理想や、1946年憲法の民主的な統治の理想と比べて、ただ目先の利益しか考えない、理想とは言い難い発想だと感じられます。

 

これだったら、1889年憲法にまるごと戻すという発想の方が上等だと感じられます。

 

憲法草案については、民主党時代に、鳩山さんや枝野さんも考えて提出しているそうですが、これについては僕は読んでいないのでわかりません。

 

基本的に、今から先、日本の国や日本人がどういうふうに生きて行ったらいいのか、そのビジョンを考え付くことができなければ、新しい憲法はできないのではないかと思います。

 

憲法に先行して、学者や芸術家が、ビジョンを示す努力をするべきかもしれません。いいものが出てきたら、新憲法を書くべき時期が来たと言えるかもしれません。

 

今の改憲の動きは、しょうもなすぎるのですが、勘違いした政治家が自分を大きく見せるために実績づくりとして憲法を改正したいと考えていたり、対米従属のグループの中で、今まで以上にアメリカの指令をよく聞くことができるように邪魔になっている憲法の条文を取り払いたいとか、そんな感じみたいです。

 

こういうことであれば、馬鹿が嫌いな人だったら立場を越えて、みんな反対してくれると思いますが。