原口一博さんが配信した動画のリストを見ていたら、山本太郎さんについて言及したものが見つかりました。

 

山本さんがおしゃべり会(タウンミーティング)をした時の動画を、原口さんに対して言及があった部分だけを切り抜いて動画にしている方がいて、その動画が原口さんのところにも回覧されてきたそうで、それについての言及でした。

 

僕も事前にその動画を見ていたので、どういうコメントになるのか興味を持ちました。

 

動画の中で山本さんは、会場から質問された、原口さんとの連携の可能性について、現時点では難しいという考えを示していました。

 

山本さんは、小沢一郎さんの弟子でもあり、小沢さんの政権交代の考え方を受け継いでいますが、そのまま受け継ぐのではなくて発展的に考えています。ただ塊を作れば国民から支持されると楽観的に見ることはできなくて、何度も挑戦してあまり国民から支持してもらえなかった経緯があるので、同じやり方ではダメで、やり方を変えなければならないと考えているのだと思います。

 

そのひとつが一般国民に恩恵が及ぶ経済政策を打ち出すことです。この意向は以前から打ち出されていて、民主党系の有力者たちはこれをほぼ無視してきたため、山本さんは彼らとの協力には悲観的になっているみたいです。

 

彼らがなぜ無視するかの考察において、自民党の一般的議員と同じで、自分が議員として当選することしか考えていないから、というアイデアしか出てこなかったようです。

 

実際に、野党共闘の呼びかけについて、民主党系の議員には、それが自分の当選に有利になるのであれば利用し、そうでないなら拒絶するという、かなりわがままな言動を取る人がいたようで、その人を人とも思わない態度に、驚きあきれる人が続出していました。

 

もしかしたら、保守派の議員からは、市民層の人々が、一般の生活者には見えず、余所者であるとか反社会的な活動家と見えるのかもしれません。だったら全部拒否すればいいと思うのですが、利用できる分には利用しようとするので、理がなくただずるいだけに見えるのだと思います。

 

山本さんはこういった現象に対して、感情を損ね、感情的に行動を決めているわけではなくて、政権交代を実現するために、何ができるかを考えているのですが、それでも改めて振り返って見ると、政権交代を起こすために積極的に動いていた市民層と、同じ感情、同じ見方をしているように感じられます。

 

いちおう戦略的に考えて動いているのはその通りなのですが、やはり保守派の議員のひどい仕打ちに怒っていて、そのことがいくらか基本のスタンスや個別の選択に影響を与えているようにも感じられます。

 

原口さんの方では、超党派議連を作って議員の連携と相互理解を深めることをやっていて、さらにその動きを一般国民とも共有しようとしているのだと思います。

 

それとれいわ新選組がどう結びつくかということでは、今の段階で、協定書を交わして、政党同士の結びつきを作る段階にはない、という考えでした。というのは、原口さんは立憲の執行部に入ってはいないからです。

 

そして各種の議連に対しては、れいわから、大島さん、たがやさん、櫛渕さんが参加しているので、その連携、協力に感謝するという話でした。

 

日本の未来を創る勉強会には、山本さんに来てもらうように打診していたようですが、それは断られたそうです。原口さんとしては、選挙の時に立憲の関係者がれいわに対して礼儀を失した対応をしていたことを思い出して、それが影響しているのかもしれないと思われるようでした。

 

山本さんは感情で動いているわけではないですが、結局はそういうことかもしれないと僕も思いました。

 

民主党系の政党や議員と連携しようとしても、振り向いてくれない男性にすがる女性のような構図になってしまい、一方的に譲歩を求められるだけで自分たちは何も得られないし、国民も何も得ないということになってしまう恐れがあります。先方では自民党の一般的議員と同じで、自分が当選できるならライバルを蹴落とすことに何の痛みも感じないという雰囲気でやっているようで、支持者になる以外に協力関係を結ぶことは不可能に見えます。

 

この見方は、原口さんに向けられたものではなく、原口さんの同僚に向けられている疑惑だとしても、それはちょっとかわいそうだと原口さんは思うようでした。

 

山本さんは、過去の野党共闘がうまくいかなかった経験から学んで、市民が選挙ノウハウを学び、運動の量を積み上げ、自分たちが推す議員を自分たちの力で当選させる実力を得ることが、日本の政治風土の刷新につながると考えているようです。

 

この考え方はもしかすると、政界に入る前から持っていた考えかもしれません。市民運動的な考え方ですが、それを強く打ち出すようになったのは、既存の政治家が打ち出す打開策ではうまくいかないことが明らかになったからかもしれません。

 

小沢さんと一緒にやっていた頃には、野党共闘に対して乗っかる気持ちが強かったのではないかと思いますが、何度も選挙を繰り返しながら、結果を出せないことが続いたので、少しずつ別の道を模索するようになり、自分自身の市民運動的なセンスを全面的に出すようになってきた、ということかもしれません。

 

他にいいアイデア、結果につながるアイデアが出てきたら、それに乗ることもありえるし、山本さん自身も、頑なに独自路線をつらぬくことは考えていないと言っています。必要があれば妥協もするし、多くの人の力を借りることも考える。しかし他の人を頼りにして、待って時間を空費することもやりたくなくて、その間に自分たちでできることをやる、ということだと思います。

 

今すぐ国民のために動き出さない人、考えを改めて行動も変えようとしている人、そういう人でないと、山本さんは認めてくれないし、そういう人でないなら、山本さんは潜在的な敵と認定してくるので、敵とみなされた人からは、やりづらい相手と見えるかもしれません。

 

一方で、れいわと合流しようとか、新党を作って結集を呼び掛けるというような話にはなりにくい事情も、山本さんは自覚していて、もし気持ちがある人がいても、今、大きな政党から出たら自分が当選できず、落選して一般人になってしまい、それだと何の役にも立てないからと、大きな政党にとどまる人もいるだろうと考えています。

 

本当は、そんな心ある人もほとんどいないと思っているのかもしれません。その人に対して疑いを向ける部分が、倫理的に厳しい人の特徴であり、戦う市民活動家の感覚でもあって、保守派の人にはなじめないものかもしれません。ただ、保守派の人の野党共闘の呼びかけに対する不可解な行動は、僕にもあまり理解できません。

 

山本さんの方では、れいわが支持者を増やして、れいわから出たら当選できるという状況を作れば、心ある人がもっと移ってこれるということを考えているようですし、以前の一人だけで動いていた状況を考えたら、今既にその方向へ向かって少し前進していることがわかります。

 

原口さんとしても、立憲に所属することで、多くの議員を当選させられるということがあって(それもあって)、このプラットフォームにとどまることが有益だと考えているようでした。

 

自分自身なら、大変ではあるけれども、無所属でも選挙をやって勝ち抜く気概は持っているということでしょうけれども、同志を当選させるには大きな政党の後押しは大事だと考えているようです。最近は、立憲の公認候補が落ちて、無所属として出た人が当選する傾向があって、期待と逆になってはいますが。

 

実際に、原口さんが立憲かられいわに移ることを考えると、質問時間は少なくなるし、代表選に出て次期首相候補として名乗りをあげることもできなくなります。出て役に立つことより、残って役に立つことの方が大きいという判断はありかもしれません。

 

一人ずつ心ある人を数多く当選させ、議会の構成を変えることが、遠回りのようで近道かもしれないということを考えると、地道な取り組みも悪くはないように思えます。

 

山本さんの方でも、地域に浸透して支持を広げる活動を地道にしているわけですし。

 

山本さんが言っている、市民が議員を当選させる能力を獲得するというビジョンについては、根本の部分では原口さんも同じビジョンを持っているということだったと思います。

 

しかしニュアンスが少し違っていました。原口さんは以前から、既得権益層や金権政治の方法論に頼らずに、一般市民の応援を当てにして選挙をしてきたそうで、既に確立されている選挙のやり方(有力者にお金を配るとか)については全部拒否するだけでやってきています。

 

山本さんの方では、市民の推す候補が、古いやり方をしている候補にずっと負け続ける現場を見てきて、向こうのやり方を学んで、不正な部分は省き使える部分は使い、市民候補が当選できる力を自分たちが身に着けよう、という発想です。

 

選挙に関わった状況が違うためにニュアンスの違いが出てきているということかもしれません。

 

当然山本さんは金権選挙を真似しようとはしていなくて、例えば、どぶ板選挙の部分を真似しようとしているので、やっていることは原口さんと近いかもしれません。ただ頭を下げてお願いする以外に、政治状況の解説をしたりしている部分も似ています。

 

違うのは、生活苦の人々が次々に増えていっている状況を脅威と感じる気持ちが強いか弱いかかもしれません。原口さんの方が、世界がもっと安定しているイメージを持っているのかもしれません。山本さんの方では、世界はもう半部くらい地獄に変えられているという認識なんじゃないでしょうか。