デモクラシータイムスのウィークエンドニュースをちらっと見ました。

 

ちょうど裏金問題の議論がなされていました。

 

実際にどういう使い方がされていたのかが問題だ、という話になっていました。基本的には自民党は調査をする気も、改善する気もなくて、野党が要求するので、予算案を通したい思惑があって、少しずつ調査の要求を呑んでいる状況らしいです。それは時間稼ぎみたいなものなので、何が起きていたかは、断片的情報から、各自が想像してみるしかないようです。

 

これまでの歴史の中で、裏でどんなお金の使い方がなされていたか、断片的に暴露してくれた人がいるようで、完全な空想ではなくて、伝聞情報をもとに想像することができるみたいです。

 

一番多いのは、選挙の時に、国会議員は、地方議員に動いてもらいたいわけなので、ただで協力を求めるわけにもいかず、お金を渡してお願いする、という使い方です。

 

これも、日本社会が景気がいい状態ではなくなっているので、お金を渡す慣習をやめるか、渡すにしても少額にするか、改革した方がいいかもしれませんが、礼儀に関わることなので、当事者だけでは変えられないのかもしれません。安く上げようとしたら、俺のことを軽く見ているのか、という話になるだろうからです。お金が欲しいというより、自分に敬意が向けられているかを人は見ているんじゃないかと思います。

 

そして他には、幹事長のように、年長で役職についている人は、古い秩序では、子分の面倒を見ることになっていますので、選挙が近づいた時期や、慰安旅行(公的には視察旅行と言われている)の時に、まとまったお金を渡すことになっているようです。これも礼儀が主で、気持ちを表すためにお金を渡しているということなんでしょう。

 

その他、退任される人がいたら、慰労会も開く必要があります。新年会のような定期的な宴会でも、重鎮が主催しているのに、挨拶に行かないのは失礼にあたるので、お世話になった人は顔を出すようにするでしょう。これも礼儀です。

 

近代人の感覚で見ると、どれも限りなく私的な交際費に近いお金に見えるので、そういうのは政治資金じゃなくて、議員報酬から出してよ、と思うかもしれません。

 

しかしやっている人の感覚では、自分でしたくてしていることというより、儒教的な秩序を守るための儀礼で、好むと好まざるに関わらず必ず参加しなければならないもので、公的セレモニーのように感じられるのかもしれません。

 

こういうことに馴染んでいる人は、これは人として必ずやらねばならないことだと思っているでしょうし、こういうしがらみが嫌だなと思っている人だと、これを私費で出さされたら踏んだり蹴ったりだ、と思うかもしれません。本当はやりたくはないからです。

 

親分子分の関係、師弟の関係は、それ自体中世のイメージですが、親分が子分に俸禄を与えて代わりに一旦急あればはせ参じるというイメージは、鎌倉時代の武士団のようです。

 

鎌倉武士が、臣下の人々に、俸禄を出し惜しみしたら、肝心な戦争の時に(政治家の場合選挙の時に)誰も協力してくれなくなります。それを考えると、お金を出すことは当然の行為に見えるんじゃないでしょうか。

 

また地方選挙区の議席を一族で所有している感覚の人がいて、子供に跡を継がせようと考える人がいますが、この感覚は政治家の家だけでなく、かつては広く存在したものだと思われます。

 

政治の世界が古い慣習を遅くまで残しているので、他の人たちが諦めたり、そんな気をなくした風習がまだ政界では生きているんだと思われます。他の世界では、自営農民から給与所得者への移行が起きていて、後を継ぐも何も、継がせる仕事を持っていないことが多いです。

 

政治家だって、議席は公的なもので、最適な人がその地位につくように最初から設計されています。それでも古風な考えの人が、自営農民や武家の慣習を持ち込んで、近代国家のシステムを中世もしくは古代の色で染めてしまったのだと思われます。

 

全部、中世や古代の習慣で塗りこめて、大金を使って維持している、というのは、自民党関係者の好きでやっているのであれば、別にいいよということかもしれませんが、問題は、政治家を家業と考えいる人が特に、議席を絶対に他の政党に譲らないという強い決意を持っていて、そのために買収できる人は全部買収しようと頑張るようなことがあると、困るわけです。

 

番組では、政治家の収支報告書を見ると、一般企業でやっている当たり前のやり方をやってないことがわかる、という話が出ていました。僕は会計処理のやり方を全く知らないので、具体的な話は理解できませんでしたが、一般企業と同じように処理しようとするだけで、改善すべきことがいくつかあるようです。

 

こういうのは、やる気がない人、古い慣習をそのまま維持したい人に言っても、なかなか進みませんので、野党議員のように、ちゃんとやりたい人に、こうやると改善できますよというアイデアを伝えてもらって、やる気がある人が模範的なモデルを先に実現してしまうのが早いように思いました。

 

無償で選挙活動を手伝ってくれた人には、お茶は出していいことになっているようですが、お菓子の差し入れくらいはやれるような法律にした方がいいんじゃないかという気はします。

 

野党議員も、同じ日本に暮らしているわけですし、礼儀が大事なことには変わりないし、献身的に働いてくれた人に何も出さないというのは、気が引けるところもあるんじゃないかと思うからです。

 

とはいえ、そういう少額のお金が積み重なってかなりの負担になってしまうのかもしれず、選挙活動は手弁当でという感覚で押し通す方がいいのかもしれません。

 

ただあまりシビアに、少しでも金品を渡すと違法という縛りは、礼儀を果たすことを困難にするんじゃないかとちょっと思っただけです。

 

本当に身ぎれいにしておかないと、汚いやり方をしている人が、自分のことは棚に上げて、敵対勢力のちょっとした失敗につけこんできたりもするでしょうから、そういう意味でも、怪しまれるようなことはできない、ということもあるのかもしれませんね。

 

理想を言えば、お金をまいて選挙をやっても、選挙や政治が何のためにあるものなのかをきっちり理解した人が応援して、ライバル候補の方を勝たせるという状況が、どこでも起こるようになれば、買収はいけませんと言葉で言うだけで、シビアに取り締まらなくてもいいのかもしれません。

 

今の時点でも、現金をもらったから投票する、もらえなかったから投票しないという人は、あまりいないのかなとも思います。

 

公共事業を回してもらえるとかいうことでは、もらえるのなら投票する、もらないのなら投票しない、という判断はあるかもしれません。

 

一番、効いているのは、村の統治は、村長や村の生え抜きの人がやるのが当たり前で、外国かぶれの変な人(進歩的思想の持主)に村の命運を左右されるわけにはいかない、という発想かなと思います。

 

村のことは村の人で決めるのが当たり前なのに、外国かぶれの人間が、民主主義的統治体制なんてものを持ち込んだために、選挙なんてやらないといけなくなって、危なくてしょうがないわ、選挙なんてやめて、名家の血統が統治権を継承するように変えたいわ、みたいなことなんじゃないでしょうか。

 

こういう考えの人が束になってかかっても、民主主義的理想を持った人に勝てない、という状況になればよくなるんでしょうけど、現実はまだ逆だということなんでしょう。