アークタイムスで望月さんが、検察でよく聞いた話として、国会議員を家宅捜索する時には、それだけで大きな話題になるので、やってみたけど結果、起訴も何もできませんでしたということになったら大変なので、絶対に起訴できるという証拠が集まるまでは家宅捜索はしない、という話を紹介していました。

 

普通に考えたら、罪があるかないかわからないので調査する、ということじゃないかと思うんだけど、疑いがかけられた時点で、罪人という物の見方が、前提として広まってしまっているのか、明白に疑いをかけることに慎重にならなければならないのかもしれません。

 

個々の事例を見ると、自民党議員に対する疑惑追及は慎重で、野党議員に対する疑惑追及は強気という傾向があるのかもしれませんし、自民党議員でも末端には厳しく、中枢には手ぬるいという傾向があるのかもしれません。

 

そこにどういう思惑があるのかは、人によって違うのだろうし、汲み出すことは難しいのかもしれません。

 

最悪なのは、政官財の癒着構造の中に、自民党がしっかりと組み込まれていて、仲間を助ける意識で、検察が自民党に助け船を出すというようなことがある場合です。

 

それより多少ましなのは、組織同士の取引関係があって、馬鹿正直に疑惑追及をすることより、ここで貸しを作っておいて、後で自分たちが追求された時に一回助けてもらえるカードとしよう、という考えがある場合です。

 

そして僕はこれが一番ありえる見方じゃないかと思うのですが、思考に柔軟性がなく一度受け取った固定観念をずっと持って行くような人の頭の中に、検察が民衆の選挙で選ばれた国会議員の一人一人の運命を左右するのは、できるだけ控えるべきだという考えがあるんじゃないかと思います。

 

小沢さんの冤罪事件の場合は、特別な力が働いたということかもしれません。

 

固定観念を形成し、それを覆せないタイプの人は、いくら周りが説得してもそれを変えられないことが多いですし、組織内に広く共有されている固定観念を個人が覆すこともまた困難です。

 

そして異なる考えを持つ人たちが綱引きを行った結果として、組織の行動が現れてくるということを考慮すると、結果として見えているものは、合成された力であり、個々の力に分解して見るという視点も必要かもしれません。

 

よく言われることは、組織の末端には正義感にあふれた人がいて、組織の上層には政治的駆け引きで出世をはかる人がいるという二重構造がある、ということです。

 

その場合、上層部の顔ぶれや人柄の解説が重要になります。

 

孫崎享さんは、検察の特捜部の歴史的な出発点に触れていて、連合国軍(日本の場合はアメリカ軍)が、日本人が秘匿している国家資産を探して徴発するために作った部局がもとになっている、ということでした。

 

変わり身早く、つい最近までの敵国に取り入って、彼らの言う通りに動くような人の集まりが、ろくな集団であるはずがない、というのが示唆されていることだと思います。

 

同様の指摘は、出入国管理局についても言われていて、そこには特別高等警察出身の人間がたくさん入り込んでいるということが言われています。

 

人は入れ替わっているので、継承されるものがあるとすれば、考え方であり、文化であり、仕事の仕方だと思いますが、そういうのがゼロだとは言えないかもしれません。