最初の印象は、「ブレス・オブ・ザ・ワイルド」と似ているなという印象でした。リンクの風貌がワイルドになっていると感じるんですが、髪型かもしれないし、義手のせいかもしれないし、衣装のデザインなのかもしれません。背景には、男はワイルドじゃないとという価値観があるのかもしれないし、何度絶望の淵に落とされても諦めない不屈の魂を表現しているのかもしれません。

 

独特のクラフト要素に関しては、凝り性の人によってあらゆる可能性が追求されているようですが、僕の好みでは先が早く知りたくて、課題を最短で片付けて先に進む感じになってしまい、やっつけ仕事ばかりになっています。

 

序盤は、HPも少なく、移動手段も限られているので、苦戦しました。雪山登山で行き詰まり、3つほどルートを試したんですが、登山ルートに到達するため、その都度、長距離移動する必要があります。そして、また移動手段を自分で組み立てないといけないので、かなり面倒でした。群島の構造になっていて、間を隔てるものが泳いで渡れないほどの川や湖だったり、何もない空間だったりするので、気軽に行き来できません。

 

必須の資源を使い果たしたのに、新しく手に入れられる場所が見当たらず、最初からやり直しか、と思ったこともあったんですが、探し回ることで何とか見つかりました。でも何度も失敗していたら、本当に最初からやり直す羽目に陥ったかもしれません。

 

リンクは何もしゃべらないし、NPCも基本的に説明の役目を果たしているだけなので、孤独な旅の印象です。「エルダー・スクロールズ」だと、NPCに話しかけると、俗世の厄介事を持ち込んでくるので、騒がしい感じがします。

 

「エルダー・スクロールズ」でも、夜中に移動していると孤独を感じられるかもしれませんが、俗世の目的意識があるので、孤独な旅というより、目的地を目指した強行軍という感じです。「ゼルダの伝説」では、目的はあっても強いられる感じではないので、瞑想的な雰囲気になってきます。ダッシュがスタミナを消費するので、遅い速度で歩いている、ということも関係しているかもしれません。

 

ただし、RPGをやっているというより、学校の勉強をやっている感じはしました。課題が提示されて、それを何とかして解こうとします。その繰り返しは、勉強みたいです。

 

じゃあ他のRPGはどうなのかというと、もっと単純で、お使いクエストをこなすだけだったりします。作業は、プレイヤーに参加意識を感じさせるための仕掛けであり、大事なのは作品世界の住人のストーリーなんだと思います。それはまあ、ノベル・ゲームの延長だと言えるかもしれません。

 

あるいは、なかなか勝てない強敵、あるいは膨大に配置された雑魚敵が行く手を塞ぎ、先へ進まなくさせます。これについては、単純に、自分の力のなさで先へ進めないという悔しさを感じることになり、何とか挽回したいという強い動機付けを与えることになります。

 

「ゼルダの伝説」の方が、複雑な謎解きを用意していて、ゲームとしては豊かかもしれないのですが、出題に対して答えるということを繰り返していると、学校で勉強している感覚になってきます。そして勉強しているのに、それを邪魔する形で敵や悪天候が差し挟まれるので、落ち着いてできないよと文句を言いたくなります。勉強してるんだから、邪魔しないでよ、という感じで。

 

謎を複雑化するには、扉の鍵を何重にもかけて、東奔西走させて、鍵を集めさせる、という仕掛けも可能ですし、読解力や想像力を試すような仕掛けも可能です。しかしこれらの謎かけは、複雑すぎて難解になりがちです。

 

「ゼルダの伝説」の場合は、基本の解決手段を事前に提示して、それを組み合わせることで解けるようになっているので、自分が気が付いていない仕掛けを、作品世界を探し回って見つけるようなことは必要ありません。手持ちの材料はだいたいいつも揃っていて、組み合わせの方法だけが問われています。

 

この本格推理小説のような、材料は提供しているのだから、あなたは本来謎を解けるはずだ、さて本当にそれがあなたにできますかね、みたいな挑戦が、正々堂々としすぎているがゆえに、学校の課題を解いているような感覚に陥らせるのかもしれません。

 

逆に普通のRPGでは、謎かけや進行を阻む敵が、理不尽すぎて、気持ちが千々に乱れ、それがわくわくする体験につながっているのかもしれません。ポイントは「理不尽な壁」ということかもしれません。

 

それと、あらためて、NPCが無垢な存在の方がうれしいな、という感じがしました。「エルダー・スクロールズ」では、明らかに悪人であるとか、この人善人か悪人かどっちなんだ、という人が多いので、俗世の雰囲気がありすぎるほどあって、表面を取り繕う人があまりいないせいで、俗世よりも悪い印象を受けます。

 

俗世に疲れ、逃げてきてこの世界にいるのに、ここでもそれかよ、という感想を持ってしまいます。まあ、高潔な使命感を持った人もいますし、親切な人もいますけど。

 

西洋の人にとっての多種族混住のイメージは、わいざつな俗世風になり、日本人にとっての多種族混在のイメージは、雪女や鶴女房のように、精妙な存在との邂逅という感じになるんでしょうか。

 

西洋の人にとっても、神聖な異界のイメージはあるんじゃないかと思うんですが、RPGの基本となっているエルフとかドワーフとかが混住して暮らす世界では、あまり無垢なものは見られないという感じがします。