昨晩、アークタイムスで遅くに配信がありました。僕は配信予告に気が付いて最初から見ていたんですが、途中で寝てしまっていました。

 

パーティー券問題で閣僚の辞任が起きそうだという件と、ジャニーズの新会社の社長が囲み取材に応じたという件が動いていて、当日中に取材結果を出してしまおう、ということだったようです。

 

パーティー券の問題は、ずっと前から言われている、「政治と金」の問題が、全然解決せずに続いているという印象を与えます。昨日、今日始まったことじゃないし、日本文化の土壌との関連もあるんじゃないかと思いますので、問題が大きすぎて、どこから手をつけていいのか、途方に暮れる感じがします。

 

ジャニーズに関しては、だんだんと、もうこの会社には関わりたくない、他の人もできるだけ関わらないで欲しい、という感想を持つようになってきました。

 

福田さんについては、そんなに大きい人物ではないという印象です。以前から彼が言っていた、政治力による出演枠の独占への反対意見はまだ生きていて、それに関しての改善は見込めそうですが、その見識は他の幅ひろい問題に生かされるわけではなくて、そのこと以外については、平均的な人以下の発想しか持てないようでした。

 

福田さんはご自身の存在価値を経営の力量があることだとみなしているようですし、実績もあるので、その世界で、門外漢にはわからない能力をお持ちなのかもしれません。しかし一般的、社会的な部分では、平均的な人以下のことを言っているので、永遠の18歳的な、大人になりきれない子供の良さと悪さを兼ね備えている人という印象を持ちました。芸能界には、芸事への憧れを持って入ってくる人が多いでしょうから、他の業界よりもそういう人が多いのかもしれません。

 

また視聴者の方の厳しい意見があって、それに緒方さんも賛同する場面がありましたが、その厳しい意見というのは、福田さんがナイーブさを打ち出して、素人っぽさを提示しているのは、本当にナイーブなんじゃなくて、記者と友達みたいな関係を作って、手懐けようとしている可能性がある、という指摘でした。

 

僕は、単に幼稚なだけ、という別の厳しい見方に傾斜している感じですが、福田さんが策略を弄している可能性があるなら、取材者は警戒しなければならない、ということもわかります。

 

 

パーティー券問題と、ジャニーズ事務所問題で、共通していると思われるのは、民主主義的なルールを大事に思う人が、不正を正そうと頑張っても、追求を受けている人が、一般国民に問いかけて、一般国民が許してしまう、ということが、過去にもあったし、これからも起きそうだ、ということです。

 

この背景には、日本社会で正しさがどのようにして確保されてきたのか、ということがあると思います。日本には和の精神というものが確かにあると感じられるのですが、正しさも和の精神によって確保されている気がします。

 

それは、原理原則の教義があって、それと一致していれば是、一致しなければ否というシステムではありません。そういう原理原則に照らす方式だと、解釈する人によって見解が違ってくるので、究極的には、キリスト教世界で起きているように、分派がいっぱいできると思うのです。

 

しかし日本型システムでは、原理原則に照らして判断することもありながら、他の人の顔色を窺って、全体の流れに合わせる、ということを、原理原則よりも上に置いていて、それがために、個人の判断や分派によって、不和が広がることが抑制されています。

 

これは解釈間違いによる誤りには強いシステムです。私はこれが正しいと思う、しかし自分が必ず正しいと言うつもりはないので、他の多くの人たちの解釈に合わせても構わない、そう考えるなら、個人の判断がさまざまに誤っていても、多数意見に合わせるシステムがあるために、個人の誤りが多くの人を間違いに導くことがありません。

 

一方で、正しい教えが忘れられて全体に誤りがまん延しはじめると、その悪い流れから逃れる手段を、日本社会は持ってないことになります。

 

それで、「政治と金」問題でも、芸能事務所の統治の問題でも、国民に是非を問いかけると、みなさんと同じ判断で構いませんという答えが返ってくることになるので、旗振り役の人の意見がそのまま通ることになるでしょう。

 

それで誰が旗振り役になるのか、誰が支配的な流れを作れるかの競争となります。

 

自民党はそういうことに慣れているので、自分たちにとって損にならない形で、決着をつける方法をいろいろ知っているのだと思います。それで誰かを犠牲者にして、組織としては何も変わらず、そのままで許されてしまうということになります。

 

民主主義者は、民衆の手懐け方をあまり知らないようで、自分たちで正しいと思える意見を提出するんですが、賛同を得るのは自民党の策略を含んだメッセージの方で、民主主義者の方は、先鋭的すぎて場の調和を乱すとみなされ、あまり影響力を持つことがないようです。

 

ジャニーズ事務所の問題についても、同様のことになりそうです。性加害についてはジャニーさん個人の問題だったかもしれませんが、ジャニーさんの性加害問題をきっかけに、それ以外にも事務所や業界に、古臭い慣行が、人に優しくない慣行が残っていることが明らかになったので、この際、業界を刷新する運動を始めたらどうか、という意見が、民主主義者、人権主義者から上がっているのだと思います。

 

しかし事務所の方では、あまりそんな気持ちがなく、昔のままやることしかできない人と、世間の批判にさらされて右往左往しているだけの人しかいないみたいです。それで彼らが、ファンの人や、関係する業界の人とのつながりを頼りに、今まで通りのやり方を通そうとしてくると、民主主義者、人権主義者だけでは、流れを変えられないかもしれません。

 

民主主義者、人権主義者が批判を強め、ボイコットを呼びかけても、国民や視聴者が選ぶのは、おそらくは事務所側のメッセージの方で、民主主義者、人権主義者がしているのは、人を嫌な気持ちにさせることだ、人のやることなすことを否定することだ、と受け取られてしまう可能性があります。

 

原理原則を掲げて人を裁くやり方は、先ほど述べた、自分の意見を引っ込めて全体の流れに合わせるやり方とは全然違うわけです。

 

そして自分の考えを引っ込めて、周りに合わせるタイプの人は、自分の考え自体を確立することもしていませんから、状況次第、空気次第で考えを変えてしまう人であることが多いです。それで日本の世論は、状況次第、空気次第で考えを変え、移ろいやすくなるのではないかと思います。そして全体的傾向として、古代・中世の身分制に由来する権威主義や少数意見の蔑視が反映してくるのだと思います。

 

 

先日の、田中眞紀子さん、田中直紀さんの記者会見で、聴衆からの質問を受けていたんですが、不正な政治資金の使い方は断固許さないという強い思いで発言する人を見かけました。そういうことを言う人は、リベラル派、左派の集会で見かけますし、自治会の総会でも見かけます。

 

会社や役所で、会計の仕事をしていた人なんかがそうなるのかな、と僕は予想しているんですがどうなんでしょうか。

 

多分、仕事が人に強いる傾向とか、生来の傾向とかが、個人の力によって克服されないと、不自由な印象、融通が利かない印象になるんじゃないかと思います。

 

人権主義者や民主主義者で、個々の人に対する愛や思いやりを基盤にして、発言する人でも、民族主義、部族主義に基づいている一般国民から、あまり受け入れられないのに、杓子定規に人を疑い否定するなんて、ほとんど受け入れられる可能性がないんじゃないか、と思えてきます。

 

それでも、政治と金の問題で、国民の怒りに火をつけることで、運動の推進力にしようと考える人がいますし、過去にはそれでうまくいっていた場合があったのかもしれません。

 

しかしそういう時の怒りというのは、質が低く、社会の改善を願ってのことというより、自分らばっかり利益を回しやがって、俺に回せ、俺だけに回せ、という怒りかもしれません。

 

それだと、怒りを抑え、従順に振舞うことで、自分には利益を回してもらおうと考える人と、あまり変わりません。

 

根本的には、人が卑屈にならないでも生きていけるように、先に生まれた人が後から来る人を進んで支える、自由主義的な社会の住人がまだ揃っておらず、身分制時代の人が上の立場の人に平身低頭することで生かしてもらう社会の住人がまだまだ多いことが、物事が良くなっていかないことの背景にあるように思えます。