VRoid studioというものがあるそうです。ブイロイド・スタジオと呼ぶんでしょうか。VR=バーチャル・リアリティーと、アンドロイドを合わせて、ブイロイド、かな。

 

画像投稿サイト(?)のピクシブから出てきたソフトウェアみたいで、ピクシブは、アマチュアやセミプロの漫画・アニメの作家が絵を見せ合い、交流し、そこで化学反応が起きることを目指しているものじゃないかと思います。

 

そんな中で、ブイロイド・スタジオは、絵が上手い人だけでなく、誰でもが自分で3Dのキャラクターを造形できて、それをネット上の自分の外観として(アバターとして)使えるようにすることを目的としているそうです。

 

この趣旨の範囲内なのか範囲外なのかわかりませんが、こういうソフトウェアで作った(あるいは他の人が作った)キャラクターを、市販のゲームに組み込んで、自分の気に入ったキャラクターでゲームを進めるという方法があるそうです。

 

文化発展や経済発展の観点から言っても、与えられたものをそのまま享受するのではなくて、それぞれのアイデアで改造してしまうという傾向は、歓迎すべきじゃないか、というふうに僕は思うのですが、どうでしょうか。

 

その観点から言えば、大学の入学試験の時に、スマートフォンを使ってカンニングをやろうとした人は、ただ言われるままにフェアに試験を受ける人と比べて、下とは言えない感じもするのです。

 

もっとうまくやってばれないようにした方が良かったとか、リスクとベネフィットを考えて、普通に受験するとか、普通に試験勉強する方が賢いとか言うことはできるのですが、ひと工夫しようとしたことは、他の趣味的な分野でお仕着せでは飽き足らずに創意工夫する行為と、そんなに変わらない感じもするのです。

 

ただし、社会的に考えて、限られた教育リソースを誰に振り向けることが社会全体にとって効果的かと考えた時に、学力を不正に水増しした人より、本当に実力がある人が、学校で優先的に学ぶべきだ、ということも言えて、その順序をただ自分の欲求だけでゆるがせにしたことは、罪だと言えなくはありません。

 

でも、これはこういう理由で駄目なんだよ、と説明して、わかってもらい、その創意工夫を別の方向で使ってもらったら、一人の貴重な人材を失わずに済むということが言えるんじゃないでしょうか。

 

しかし市販のゲームを勝手に改造して、自分で遊ぶだけなら、制作者の権利を具体的に侵害しているとまでは言えないかもしれませんが、他の人にも使えるように配布を始めると、グレーゾーンになってきます。

 

こういうグレーゾーンがあちこちにあるので、創意工夫をすることが、不道徳な領域に人を導くことは、結構な比率で起きてきそうです。

 

でもそのデメリットを受け入れないと、創意工夫の効能を社会が受け取ることも難しくなる、ということじゃないでしょうか。

 

国家機関が諜報活動や防諜活動をするにあたり、ソフトウェアを自作して、公共機関に被害を与えた経験があるような人を、国家機関がスカウトするということも現実にあるようです。

 

実績とか能力が群を抜いている場合、道徳性には多少目をつぶるということがあるわけです。

 

軍のように生き死にに関わる、必死にやっている部局は別にして、一般企業では、不道徳な人は困るかもしれません。それで、賢さが先走って道徳性を無視する傾向がある人がいたら、賢さを殺さない程度に、道徳性も理解することができるように変わってほしいと願うことが、普通の対応じゃないでしょうか。

 

しかし別の観点に立つと、市販ゲームのキャラクターを自分好みに改造してしまう、ということは、技量においてはなかなかのものなのかもしれないですが、アイデアとしてはそこまで大したものではないかもしれません。

 

それだったら、いちからゲームを作る人の方が上になるだろうし、ゲームの根本は技術というよりアイデアで、アイデアは個人の人生経験や才能から出てくるものだと思うので、実際にゲームを改造することより、何かの企画を立てることの方が、精神的な営みとして上のようにも思えます。

 

マインクラフトも改造できるという話を聞いたことがありますが、地下を掘削して必要な資材を集める作業が必要になるので、多分そういった作業を自動化するスクリプトを組み込むというようなことじゃないでしょうか。

 

これだと、何を作るのかという企画でもなく、どのように実現するのかという手段の考案でもなく、数学の練習問題のように、クイズのように、細かな課題に対して答えを出すような行為になり、さほど大層なことではなくなると思うのです。