安冨歩「満洲暴走 隠された構造」角川新書

 

 

この本の主張は次のようなことです。満洲で(軍を含めた)官僚の暴走が起こっていた→これと同じことが現在の日本でも起きている→それを止めなければならない→原因は何か→立場主義である→どうすればいいか→魂の脱植民地化である。

 

この本の中では、満洲でえげつない「暴走」が起きていたということは、説明では書かれているのですが、情感豊かに描写されているわけではないので、その点では他書を参照する必要があるでしょう。何が起きていたかを見て、そこから「それが何であるか」を汲み取る必要があります。安冨さんが汲み取った結果は、立場主義の跋扈ということなんでしょう。

 

自分や年長者の立場を守るという形式的なことを尊重したために、壮大な無駄が生じ、膨大な死者が生じることが、事実としてあったなら、全てが終わってしまった後から見れば、やりきれない気持ちになり、どうしてそんなことをしたのかと疑問を持つことになります。しかし渦中にいた人は、薄々おかしなことが起こっているとわかっていた人でも、個人的な気づきを抑圧して、周囲から期待されている行為に没頭することの方が、自然であったらしいのです。

 

安冨さんの目から見ると、立場という、どうでもいいようなことを、あらゆる人が持ち上げていることが奇妙に見えるみたいです。それでこの奇妙な洗脳を解消することが、満州国の「暴走」やそれと同種の「暴走」を止めるために必要だという結論に至ります。

 

理想は個人が全体の悪循環に働きかけて、別の循環を作り出すことができればいいわけですが、そこまでの力量がない場合は、単純に個人が悪循環から離脱するだけでもまだマシであるようです。同じ様な人が増えれば、悪循環のサイクルがぐるぐると廻り、「暴走」に至ることを防げます。悪循環のサイクルがぐるぐる廻らないように、どこかで切断できるだけの量の抵抗者が出てくればいいのです。

 

安冨さんが探求したところでは、立場主義の起源は、近代にあるということです。夏目漱石の中に現在と同じ意味の立場を意味する言葉が出ており、それ以前には市場の出店権や儀式の序列のように余分な意味が付加されない、単なる人間が立つ場所のことを意味していたようです。

 

立場主義が前景化するのは、氏族主義が家制度へと移り変わり、さらに家制度も廃れたため、それに代わるものとして立場主義が勃興したと、安冨さんは考えているようです。

 

長州の大村益次郎が、日本軍の基礎を作ったらしいのですが、彼は徴兵制と靖国神社の前身の東京招魂社を作っています。徴兵制は個人を徴用するもので、中世の感覚とは異なります。中世には、家から兵士が徴用されていたので、勇敢に戦って戦死する時には、残された家族の名誉と生活の安定を期待できたそうです。個人単位で徴用すると、中世の感覚からは、死んだ後の安心が見出せないらしいのです。そこで死ぬ理由や死んだ後の安心を与えるために、靖国神社が作られ、天皇の臣民という発想が考え出されたと想像することができます。

 

安冨さんは、原因を知りたいという一途な思いで突っ走っているところがあるので、細かい点では再検討しなければならないところがあるかもしれませんが、国民教育の面で、大規模な戦争を遂行するために必要な措置が取られたことは事実であるように思えます。

 

しかしそれぞれのファクターが新たに案出されたというよりは、もともとあったもので、使い勝手のいいものを強く推進したことが実際ではないかと思います。

 

氏族主義は、大家族以上の巨大家族なのだと思います。血統を何代も遡っていきます。それが細かく切られて、家制度になります。指導霊について考えると、氏族は、運命が分かれ、異なる存在になると、別の霊の指導を受けるようになるでしょう。しかし氏族が細分化されたことは、単純に、氏族が細かい単位に分かれたのではない可能性もあります。単純に氏族の記憶が失われたために、氏族のつながりが見失われた可能性もあります。その場合でも、氏族全体で運命を共有しているわけではないので、氏族の指導霊は意味を薄れさせるでしょう。

 

家制度が始まった頃は、家とは文字どおり屋敷のことを指していたそうです。家の外にいる血縁者は、親戚ではあるものの異なる家の人間であり、同じ氏族という意識は薄れています。一方、屋敷の中の血縁者は同じ人間という意識があります。屋敷の中で働いている人は、血縁者でなくても、家の一員という意識もあったようです。血縁者とそうでない人の間に厳密な区別をする場合もあります。

 

そして氏族主義と家制度が廃れた後に、立場主義がやってくるというのですが、立場主義は血縁のつながりとは別物です。立場主義は、カースト制を可能にするような、階層社会の感覚でしょう。ここでは、個人がどんな人間か、その内容は、階層的な記号によって表されます。実態以上に名を求めると、下克上のように、反社会的行為になりますが、実態はもっと上なのに不当に低く評価されていると思う人が、少しでも高い評価を欲しがるということはあります。

 

血縁の感覚が廃れた後に、階層社会の感覚が相対的に上昇するというならわかります。しかし両方が古代社会の産物で、もともとあったものではないかと思います。

 

そして天皇制における臣民というアイデアは、身分制時代の民とは別のアイデアです。民は、考える力を持たない人とされ、指示に従って労働の産物を一部供出したり、労働そのものを提供するように言われ、代わりに保護を与えられる存在でした。臣民はもっと積極的に国家に関与することを求められます。上級の階級しか手がけていなかった国防の働きも任されるようになります。これはつまり、国王周辺の戦士階級の仕事を民に任せるようになったということだと思います。家臣と民を兼ね備えたような存在です。

 

これが古代のままの国王の制度を持ち越している国との違いではないかと思います。古代の民であれば、考える力がないとみなされ、考える仕事に従事することを禁じられる一方で、上級の階級によって指導され保護されるでしょう。国防の必要から、戦士階級の仕事を全域に拡大したために、民のようで戦士であり、戦士のようで民であるという中途半端な存在が生まれてしまったと考えられます。

 

安冨さんは、立場主義を意識化してそこから逃れることが必要だと言っているわけですが、立場主義とは階層社会の感覚のことだと思われ、階層社会の中で位置を占めることを死活的と考える人が多いために、なかなか克服しがたいと思われます。血縁の世界では、ずたずたに切り刻まれ、ついに核家族にまで縮小してしまいましたが、階層社会の感覚の方はまだ生き残っています。

 

そして古代社会の習慣がいくらか薄れてきているとはいえ、個人主義や人類愛のような、近代的な考えには至っていない人が多いわけですから、社会契約説のような個人を基盤にした社会制度よりは、王権とか国家主義のように、グループを基盤にした社会制度の方に、親近感を持つ人が多いと思います。

 

普段は、家族とか血縁者のことしか考えていなくても、国家主義の方向に統合されていくと、そちらに行ってしまう人が多いと思います。近代の個人主義よりは親近感が持てるからです。

 

それで実際問題は、穏当な集団主義を広める努力をした方が有効ではないかと思います。氏族主義や家族主義でも、いろいろやりづらいことがでてくる(例えば先祖伝来の土地とか家業とか言って既得権益を手放さない人がいる)のですが、自滅的な国家主義よりはマシです。

 

 

P55で、満洲とそれ以外の中国の地域との、経済的な特性の違いの話が出てきます。満洲は経済的な活動が小都市に集中しているので、日本の植民地支配はそこを抑えることで、全体を制圧できたというのです。

 

しかしそれは満洲だけの特徴であり、他の地域は、複雑なネットワーク型の組織を持っており、市場は無数に存在し、取引したい人はあちこちの市場を回って取引するそうです。それで何箇所か点で制圧しても、いくらでも逃げ道があるらしいのです。

 

満洲は満洲族の故郷ということなので、漢民族と満洲族の文化的な違いも関係があるのかもしれませんが、この本では、経済的な実態調査を引いているので、文化的な違いについてはわかりません。

 

もしかすると日本も満洲と近い構造なのかもしれません。制圧がそれほど難しくない感じですので。

 

そして中国のネットワーク型の人間関係は、植民地支配に対して抵抗力を持つといういい面もあるものの、関係のメンテナンスにかなりの手間をかけなければならないという困った面もあるみたいです。ネットワークの内部と外部で区別がなされ、内部の人には本当に親切なのですが、外部となると騙しても何してもいいという感じになるそうです。外部に放逐されたら大変なので、それで内部にとどまるために手間暇をかけて、礼儀正しくしておく必要があると考えられています。

 

この感じは、日本でも、形は違え、内容的には同じかもしれません。日本人は、礼儀正しい人間、道徳的な人間に見えますが、排除されたら困るからそうしているという側面もあります。ただし日本では、派閥という形になっており、長老を頂点とするツリー型の組織になることが多いようです。同級生のネットワークなどもありますが、派閥と矛盾する場合は、派閥の方を取る必要があります。

 

孫文は、日本の中央集権的な国家主義の方が強いと考えていたようなのですが、ゲリラ戦では、中国の広範なネットワーク組織の方が強かったということかもしれません。中国共産党のように、ゲリラの側に、強い個性の指導者がいれば、群雄割拠状態ではなく、中央集権国家を作ることも可能なのでしょう。中国にも、外国から攻撃されることで、ナショナリズムは興隆したわけですし。

 

そして日本人が重んじる、先輩後輩の序列などの秩序も、正論を言いにくい状況を作ると言えます。それからやはり何より重要なのは、その時の「空気」の影響力だと思います。人々が「空気」に沿って生きるために、マジョリティーの中の「空気」が、理屈を超越して、説得力を持ちます。むしろ理屈を言えば言うほど、現在の「空気」を切り裂く感じになるので、「抗空気罪」として裁かれます。

 

これらは皆、古代社会の下層民の文化だと思います。自分たちで考えて真理に至ることができないので、「お上」の裁定がどうなるのか、あれこれ忖度して推し量ることが行われます。序列が大事だと言う人がいて、過去の例と一致することが大事だと言う人がいます。そしてあまりにも迷う時には、現状維持の判断をします。今がいいとされているなら、そのまま行けばいいじゃないかというのです。

 

つまり、どうすればいいのかと言えば、古代の下層民のようなあり方をやめることです。魂の植民地化というのは、植民地主義によって作られたというよりは、古代の非力な下層民のあり方として長年に渡り継承されてきたものではないかと思います。

 

 

P78ー79で、初詣について書かれています。初詣に有名神社に行く習慣が広められたのは、鉄道会社のお正月の販促キャンペーンだったそうです。それまでは氏神を祀った神社に、大晦日から元日にかけて、こもる習慣だったそうです。

 

これが本当なら、家庭内を聖域にして、家の中を神社のようにするという発想は、やはり無理があったのかもしれません。粗末な家だと、人間のお客を招くこともしづらいわけですから、神様にきていただくことには、無理があるのではないでしょうか。

 

やはり普段から掃き清められ、それなりに神様に対して失礼のないように整えられている神社に神様にきていただくのが妥当でしょう。

 

行き先が、氏神であろうと有名神社であろうと、それほど差はない感じがします。ただし氏神は、位階を持つ高次の霊的存在の分霊だそうですから、地上近くに存在すると思われます。それでお祀りするなら、通年、もしくは夏になるのではないでしょうか。冬は、地上が高い領域に接近すると言われていますから、冬ならではの神々をお祀りすることが本来ではないかと思います。

 

 

相互扶助のシステムの中にとどまることは、生きるために自分の考えを曲げることになりやすいので、否定されがちですが、相互扶助は大事なことだし、わざわざそんな助け合いの輪から外れる必要もありません。

 

しかし輪の中にとどまることが絶対視され、それ以外のことを何でも犠牲にするようになると、本末転倒が起こります。戦士階級の人間は、下層の民のように、秩序に従うことを要求されるのではなく、秩序から自由になり、必要があれば秩序から外れることも許されている存在だと思います。その代わり、戦いに負けて放逐され生きることが難しくされても、文句を言いません。秩序を守るために、自由に行動できる権限を与えられる代わりに、敗北すれば生きて行けなくされる運命も持っています。

 

戦士のような覚悟が持てれば一番いいのかもしれませんが、そこまで行かなくても、おびえて秩序を守ることに汲々とすることをやめ、自分なりに何が起きているのかを理解しようとすることは可能です。下層民のあり方だと、自分自身が安全であるために必要なことすら見失ってしまい、上からの指示を守って怒られないようにすることだけを考えてしまいます。それで時に自らを危険にさらすようなことを平気でします。ただ上からの指示を守るという考えしかありません。